ドイツ・ロマン派の代表的画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840年)の生誕250年を記念する「無限の風景」展が、ベルリンの旧ナショナルギャラリー(旧国立美術館)で開催されている。風景画の名手でゲルハルト・リヒターやオラファー・エリアソンら現代美術のスターにひらめきを与えたというフリードリヒ。彼の「再々発見」の機会となっている、この展覧会を紹介する。
フリードリヒはドイツ北部のグライフスバルトで生まれた。コペンハーゲンのアカデミーで学び、その後人生の大半をドイツ東部のドレスデンで送った。
訪れた日、世界遺産・博物館島にある美術館には当日券を求める人の列ができていた。ベルリンで初めてのフリードリヒの大規模回顧展とあって、事前予約券の購入が難しいくらいにぎわっている。
最初の展示室で人々が見入っていたのは、「海辺の僧侶」(1808~10年)と「樫(かし)の森の僧院」(09~10年)。博物館島をつくったフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が15歳のとき、父に頼んで購入したと伝わる美術館と縁が深い作品だ。
ほぼ同じ大きさの2点のうち、「海辺の僧侶」の画面の大半を占めるのは海と空。ごく低い位置にある水平線の下で、暗い海が波を立てる。大気は揺らぐように繊細に色を変え、空は徐々に明るさを増していく。僧侶は祈るような仕草で、一人果てしない海原を向いている。
「樫の森の僧院」には、ひつぎをかついで歩く僧侶たちが見える。傾きながら立つ墓も僧侶も樫の木も、ほぼシルエットで描かれている。地上は暗闇に覆われているが、空の上方はやや明るんでいる。展示は2作がリンクしていると指摘する。無限の風景と有限の命。死を前にした人の信仰はどこにいくのか。
フリードリヒの特徴は二つある。一つは、海や山といった厳しい自然の風景。夕暮れや夜明けを選ぶことも多く、ドラマチックで神秘的だ。
もう一つは心情。自然を通して人の内面を照らすように描く。人物像は後ろ姿やシルエットで表され、見る人は自身を重ねて画面の自然と向き合うことになる。
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「晩年の数十年間は成功に恵まれず、死後すぐに忘れ去られました」。展示を担当した同館キュレーター、ブリギット・フェアヴィーベさんは指摘する。リアリズムに潮流が移り、遺産を継承する有力な弟子もいなかったからだという。
本格的な再発見の機運となったのが、本展と同じ美術館で1906年に開催された「ドイツの100年展」。当時、印象派を積極的に評価したフーゴ・チューディー館長らが、ドイツ美術を国際的な評価の俎上(そじょう)に載せようと企画した記念碑的展覧会で、フリードリヒをモダニズムの先駆けとなる「光と大気の画家」と位置付けて大きく扱った。本展では、同館長時代に購入されたマネの「温室にて」やクールベの「波」なども展示されている。
とはいえ、屋外で絵筆を握った印象派の画家とは異なり、フリードリヒは室内で制作していた。スケッチなどを基に綿密に構成していたことが知られ、本展は「海辺の僧侶」の僧侶像をデッサンの教科書から引用していたことを紹介する。さらに、赤外線解析から、当初描いていた3隻の船を結局省いたことも伝える。
代表作も多数展示され、特に「氷海」は、繊細に色と形をつむぐ画家に珍しく、雪の塊を色のニュアンスを用いながら面で描いているのが分かる。また、教会や船などの構造物を緻密に描く技術も、細部まで楽しむことができる。
素描や線画も見どころだろう。練られた油彩画とは別種の、生き生きとした情感が伝わってくる。
フリードリヒは、晩年、背後に光源を置いて鑑賞させるすかし絵を制作し、それらはロシア宮廷が購入したと言われている。その斬新な作品を見ることができなかったのは残念だったが、展覧会の最後には、ドイツ在住の増山裕之さんがフリードリヒの絵画を基に制作したフォトモンタージュを展示する。数百枚の写真を組み合わせて絵を再現し、ライトボックスによって見せる手法は、画家の実験的作品と共鳴する。
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「ドイツの100年展」以降、モダニズムの文脈で評価した館長の意図とは別に、光が当たったのは画家の「ドイツ的精神性」だった。ナポレオン戦争下で発揮した愛国精神が注目されたからだ。さらにナチス政権下ではプロパガンダに利用されたため、再び美術史研究が進むのは70年代になってからだった。
なぜ再び、フリードリヒが現代人の心に響いているのか。フェアヴィーベさんは言う。「人間は世界のどこに立ち、世界に何を願うのか。人生とその有限性についての実存的な問いが、作品には含まれている。私たちが現在体験しているような不確実性の時代には、人生の大きな問いについて考えさせるフリードリヒの芸術に多くの人々が共感するのだろう」。8月4日まで。
2024年6月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載