視覚イメージを引用しながら、東南アジアの歴史や思想を照らす映像作品を制作してきたホー・ツーニェンさん。開催中の個展「エージェントのA」展で主題に据えたのは、「時間」だという。

 ホーさんは1976年、シンガポール生まれ、在住。日本で展示の機会も多く、かつての料理旅館を舞台にした「旅館アポリア」(あいちトリエンナーレ2019)や、変化する妖怪が出現する豊田市美術館の個展(21~22年)は話題を呼んだ。

 展示室にはさまざまな時間が交差する。鳴らされるドラやカゲロウの一生、家族写真や小津映画のリンゴをむくシーンまで、時間を象徴する多種多様な短時間の映像をちりばめて展示しつつ、60分もの長尺の新作「時間(タイム)のT」で、めくるめく時間の旅に連れ出す。

「時間のT:タイムピース」より「カゲロウ(飛ぶ)」

 時間と空間を支配した帝国主義、「標準時」を押しつけること、人間の時間の尺度を超えて保存しようとする使用済み核燃料……。古今東西の写真や絵などと言葉とを断片的に組み合わせ、トピックも多岐にわたる。前後に置かれた二つのスクリーンは、ものごとの多義的なあり方を意識させる。

 アジアの民主化運動の場面も流れ、あらがう人々の姿を見るうち、ホーさんは歴史に待ったをかけようとしているのだと思えてくる。「定説」を引用し、時系列をバラバラにリミックスすることで、時間にあらがうことができるからだ。

「時間(タイム)のT」の展示風景。後ろのスクリーンは引用した素材、前はアニメ化したものが映る

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 ホーさんは言う。「東南アジアとは何なのかということについて、もう少し考えたいと思いました。なぜ東南アジアは、一つの地域としてまとめて呼ばれることになったのか」。「東南アジア」という呼び方は戦争の遺物だ。第二次世界大戦時に日本からの解放を指揮するために連合軍が「東南アジア司令部」を設けたことで一般化したが、実際には宗教も言語も政治体制も異なる国々の集まりなのに、と疑問を口にする。

 そのような関心から制作したのが、オンライン上の「CDOSEA(東南アジアの批評辞典)」プロジェクト。アルファベットごとに東南アジアと関係のある用語や注釈をまとめ、来場者がアクセスするたびに、インターネット上で収集した動画や、録音した音源がアルゴリズムによってそのつど組み合わされて展開する。

 東南アジアの歴史を振り返るとき、必然的に日本との関わりも浮かんでくる。山口情報芸術センター(YCAM)との協働で制作された「ヴォイス・オブ・ヴォイド-虚無の声」は、太平洋戦争の意義を思想的に下支えした京都学派について、VR(バーチャルリアリティー)を用いることで複数の視点から問い直した。

 「CDOSEA」や、華人俳優として活躍するトニー・レオンと実在の三重スパイを重ねた「名のない人」などには、「変容」のイメージが共通する。どんどん変わっていって、つかめたと思ったらするすると逃げていく。不確かさにこそ目を留めるホーさんは「自分にとって、映像作品を作ることは私の思考そのもののようで、動く思考のようなイメージで作っています」と言う。

「CDOSEA 東南アジアの批評辞典」より

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 シンガポールには、実在しないライオンを見たサン・ニラ・ウタマという王子が「ライオンのいる町(シンガプーラ)」と名づけ建国したという建国物語が残っている。これを基にした03年のデビュー作「ウタマ-歴史に現れたる名はすべて我なり」は、近代以前の歴史の空白を扱っている。

 この作品を見ながら、ジェンダーという角度から歴史を再提示した「性差の日本史」展(国立歴史民俗博物館)で聞いた話を思い出した。シンガポール国立博物館では、19世紀初頭の植民地行政官、英国人ラッフルズの上陸以降に焦点を当てていた。だが、00年代半ばの展示改修で近代以前の歴史を14世紀までさかのぼり、19世紀の展示にはラッフルズの妻や土地の権力者の視点も盛り込んだという。また、ホーさんが展示のために作品を制作したことを今回初めて知った。

「ウタマ-歴史に現れたる名はすべて我なり」より

 時間は一直線に進むだけでなく、時に巻き戻され、時に同時多発的でもある。歴史も同様で、常に複数で、常に変容するものだが、私たちはそれを忘れがちだ。空っぽの歴史、空っぽの地域、名のない人。なぜ空っぽなのか。歴史の空白に着目したデビュー作には、ホーさんの歴史への態度や興味が鮮明に表れていた。

 「多義性」といえば、展示室内では、スクリーンを向かい合わせや、裏表にして設置し、訪れた時間によって見られる作品を変えてもいる。私たちが信じる時間とは何なのか。時間の保管庫である美術館で投げかけているのだ。東京・木場の東京都現代美術館で7月7日まで。

2024年6月3日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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