田口和奈「たゆたう」2024年

 展覧会に並ぶ作品には通常、タイトルや作家名などが記されたキャプションが付く。特にポイントとなる作品に解説の言葉が加えられたり、各章の始まりに趣旨が掲示されたりもする。広島市現代美術館で開催中の企画展「崇高さに関する抽象的な覚書」には、そのすべてがない。あるのは21点と、多くはない数の作品と、反対に、たっぷりと取られた「余白」だ。

 暗い展示室の真ん中に、建築模型が展示されている。ル・コルビュジエ後期の代表作、ロンシャンの礼拝堂。目線より低い位置にあるため、自然とのぞき込む格好になる。壁に投影された映像を見て最初の部屋を後にすると、女性の顔が二重に写るモノクロ写真が1点。振り返ると、岸田劉生の「二人麗子図(童女飾髪図)」。それぞれぽつんと展示されている。そこで初めて、展覧会について書かれたステートメントに行き当たる。

ロンシャンの礼拝堂模型(右)が配された最初の展示室

 米国の女性詩人で、禅宗に傾倒したジョアン・カイガー(1934~2017年)と、キリスト教の洗礼を受け、宗教画も描いた岸田。ステートメントは「時代と背景を超えた交叉(こうさ)を思わせる」2人の芸術家に触れた上で、こう宣言する。「ここでは、作品固有の振る舞いがカテゴリーの垣根を越え、場の特性の中で静かなダイナミズムを生み出すことを試みた」

松原壮志朗さん収集の作者不詳の油彩画。「クレメット」という署名がある

 ステートメントの主は、ウィーン在住のアーティスト、田口和奈さん(1979年生まれ)と松原壮志朗さん(80年生まれ)。本展のキュレーターだ。田口さんは、自ら描いた絵や彫刻を多重露光で撮影するなど、時間と空間を重層的に封じ込めたモノクロの作品で知られる。女性の顔の作品は田口さんの「たゆたう」(2024年)。田口さんの作品はもう1点あるが、壁と壁の細い隙間(すきま)にかけられているため、見ることができない。本展の中でも特に意表を突く展示だ。

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 「美学的・哲学的な『崇高』とは関係なく、自分たちが素晴らしく良い、美しい、と思うものを感覚的に選んで空間に落とし込みたい、というのが2人の意図だと思います」と角奈緒子学芸員。「だと思います」と言うのは、担当の角さんもステートメント以上の説明は受けていないからだという。「言葉での説明は避けたい、定義されたくない、というのが2人の考えなんです」

 作品は絵画、写真、彫刻、映像、さらにインスタレーションやテキストまで多岐にわたる。カイガーは生涯唯一のビデオ作品だという「デカルト」(68年)を上映。岸田や須田国太郎があるかと思えば、松原さんが骨董市(こっとういち)で手に入れた作者不詳の油彩画もある。英彫刻家のアンソニー・カロは同館の収蔵品ではなく、小さな模型。田中敦子は知名度の高い60~70年代の作品ではなく、80年代の、しかもドローイングが選ばれている。日本ではあまり知られていない作家も多い。

ジョアン・カイガーの映像作品「デカルト」(1968年)と、田中敦子のドローイング「1985-7」(85年)

 礼拝堂で始まり、神聖で超越した何かを感じさせる空気は、展示後半に向け、不穏さを帯びていく。米国出身のナンシー・ルポ(83年生まれ)のインスタレーションは、ドイツ製のアンティーク燭台(しょくだい)と広島の建設現場で使われていたスチール製のくいという組み合わせに、白っぽい花びらが散らしてある。天井からつるされたセックストイがモーターでくるくると回る音が、静かな空間にさざ波を立てる。その先に展示されているのは米国の美術史家、アラン・ロンジノ(87年生まれ)の文章。つづられているのは、悪性腫瘍と闘いながら「死」と向き合う日々だ。

手前はナンシー・ルポのインスタレーション。奥には須田国太郎「牡丹」(左)と、英国出身のパトリシア・L・ボイドによる写真作品「35888」が展示されている

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 最初の展示室の隅に、ぼろ布が置かれている。実はこれも展示で、田口さんが準備中に「とてもいい」と館内で見つけてきたという。仏彫刻家アルマンの作品はバックヤードに展示された。「汚いから」と難色を示す角さんに、2人は「こここそが素晴らしい」と主張した。

 「あるものをちゃんと見て、あるものから感じてほしいという思いが、2人は非常に強い。感じ方は自由で、作品はもっとオープンなはずなのに、日本でそうなっていないことへのチャレンジを、あえて公立美術館でやってみたかったのかもしれない」。完成した展示を見て、角さんはそう感じたという。6月9日まで。

2024年5月20日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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