ピカソ、ダリ、梅原龍三郎、安井曽太郎――。国内外の画壇の巨匠たちが愛用していたパレットがズラリ。笠間日動美術館(茨城県笠間市)には世界で類を見ない「パレットコレクション」がある。その数、なんと約360点。収集の経緯をたどると、日本の近代洋画を取り巻く歴史が垣間見えてきた。
◇画家らと築いた信頼の証し
JR常磐線友部駅からバスで約20分。緑豊かな丘陵地に建つ美術館では、鳥がさえずり、空気が澄んで心地よい。彫刻が展示された庭を抜け、パレット館に入ると、展示ケースと壁一面にパレットが並んでいた。
まず目についたのが、誰もが知るピカソが実際に重宝したパレットだ。使い込まれ、短くなった絵筆と絞り出された絵の具のチューブも置かれている。ダリのものは描きかけだったのか、青と白の絵の具が広がる。
それ以外は、画家が使用したうえで、「パレット画」と呼ばれる作品に仕上げたものが大半だ。パレットの上に絵を描いたり、サインを書き込んだりしている。
色彩豊かな作風で知られるユトリロのパレットは華やか。ユトリロらしい色遣いで建物や人々が表現されている。雅楽をテーマにした片岡球子の作品は、今にも音楽が鳴り出し、鮮やかな衣装の作中の人物が舞を始めそうだ。温かみのある色調のバラを表現した梅原龍三郎の作品も味わい深い。向井潤吉はジャコを描いた。美術館によると、「画商に全て吸い取られて、私は出し殻になった」というちゃめっ気たっぷりのメッセージを込めたのだという。
記者は、パレットから立ち上ってくる画家それぞれの強烈な個性に圧倒されるような気持ちになった。
「ご縁があった作家が、思い思いの絵を描いてくれたものです。私たち画商と作家との付き合いの密度と深さが表れています」。そう語るのは、笠間日動美術館長で、日動画廊(東京・銀座)社長の長谷川徳七さん(84)だ。画商という仕事柄、世界中の美術館を見てきたが、「類のないコレクション」と自負する。
集められたパレットは、画家と二人三脚で歩んできた画廊の歴史を表すものでもある。収集を始めたのは、1928年に画廊を創業した徳七さんの父・仁さんだ。日本で最も古い洋画商といわれる。創業当時はまだ洋画が普及していない時代で、仁さんは若い画家に絵を描いてもらい、風呂敷に包んで売り歩いたという。終戦後は連合国軍総司令部(GHQ)から宿舎に飾るための絵画の注文を受けるなどして少しずつ画廊を大きくした。作家の育成にも力を入れ、有名無名を問わず作品を扱ってきた。
そんな仁さんが足を運んだ67年のユトリロ展で見つけたのがユトリロのパレット画だった。聞けば専属画商に贈ったものだという。仁さんは「絵画の名品はお客様のために」と常々話していた。「画商がコレクションするにはパレットが最適だと考えたのでしょう」と徳七さんは語る。同年の画廊創業40周年記念の展覧会用に、これまで付き合いがある作家に自分のパレットに絵を描いてくれないかと頼むと、多くの画家が快諾し、150人から約160点が集まったという。
これらを常設展示するため、仁さんは72年、先祖ゆかりの地である笠間市に美術館を設立した。モネやルノワール、ゴッホの作品を展示するフランス館、ピカソやシャガール、藤田嗣治ら国内外の画家の展覧会を開く企画展示館とともにパレット館もある。今は345人分358点を収蔵する。
ユトリロのパレットだけはオークションで買ったが、他はすべて寄贈を受けたものだ。
ダリのパレットは、徳七さんと仕事を共にする妻・智恵子さん(79)が70年代半ばにテレビの美術番組でダリにインタビューしたのがきっかけ。智恵子さんは「一番いい絵描きさんはと聞くと、『サルバドール・ダリ』と。マイペースで自分の芸術論を語るので振り回されっぱなし。私はマイクを持っているだけでした」と懐かしそうに笑う。食事に招かれたこともあり、後年、秘書を通じて譲り受けた。
ピカソのものは、徳七さんたちと家族ぐるみで付き合いのあるピカソの息子から贈られたという。
徳七さんの特に思い入れが強いパレットは鴨居玲のものだ。厚く積まれた絵の具の中央に、苦悩に満ちた自画像が描かれている。
「とてもデリケートで起伏が激しい。自分のやり方で、どこまでも精神性や人間の内面を深くとらえようとする人でした」。その人生に伴走するように交流を深めた鴨居について、徳七さんが語る。自殺未遂を繰り返し、そのたびに見舞いに駆け付け励まし続けたが、57歳で帰らぬ人となった。鴨居をしのぶように、企画展示館には「鴨居玲の部屋」も設置されている。
幼い頃から絵に親しんできた徳七さんは、自然な成り行きで家業を継いだ。画商の重要な仕事は、作品の目利きをして絵画を取引するだけでなく、画家と親密な関係を築くことだ。良い作品ができた時も、そうでない時も、「作家の創作活動の起伏」だと思い、変わらずに付き合いを続ける。見込んだ画家とは数年おきに展覧会を開く約束をし、画家はそれを目標に創作する。
「画商の醍醐味(だいごみ)は、自分が見込んだ作家が本物の絵を描き、それが認められていく過程に寄り添えることなんです」。そんな姿勢に画家も信頼を寄せるからこそ、国内外の多数の著名画家からパレットを収集できたのだろう。
徳七さんはパレットについて「作家によってどう違うのか、が見どころ。それは見る人によっても違います。肩肘張らずに楽しんで自分が好きなものを見つけてほしい」と話している。
画家の創作の秘密までもうかがえるパレット。「芸術の春」に楽しんでみてはいかが。
2024年4月18日 毎日新聞・東京夕刊 掲載