鷹野隆大の展示=東京・国立西洋美術館
鷹野隆大の展示=東京・国立西洋美術館

 社会問題をリサーチして表現する作家は多いが、展示の場でも、社会との関わりを問いかける企画が目に付くようになった。開催中の二つの展覧会を通して、こうした試みを考えたい。

 東京・上野の国立西洋美術館。1959年に開館以降、初の現代美術展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問―現代美術家たちへの問いかけ」が開催されている。参加した21人・組の名前を見ると、社会に意識を広げながら、美術にまつわる制度について批評的に発言する作家が多い。

 展示はまず、美術館の成り立ちに目を向ける。川崎造船所(現川崎重工業)社長だった松方幸次郎(1866~1950年)が戦前収集したコレクションが基になって開館したことは知られているが、当時の資料を示し、未来のアーティストを育む場になってほしいという願いの下、創設された--と説く。これが展覧会の核となっている。

 担当した新藤淳主任研究員は、日本にある国立の「西洋」美術館という特殊な歴史を振り返り、展覧会の各章で問いを設定した。時には制作にも深く関与したことが見てとれ、キュレーターの色が相当濃く出た展覧会であるのは間違いない。

 印象を残したのは第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」。鷹野隆大はIKEAの家具でしつらえた自室ふうの空間に、収蔵品と自作を並べ、複数の価値観が交差して生じる違和感から「西洋美術」を支えてきたものを描き出す。ミヤギフトシは、西洋絵画の骨格をなす神話に対し、私的で詩的な語り口で新たな解釈を提示。長島有里枝は個別の喪失からケアについて内省し、向かいでは、飯山由貴がコレクションの成り立ちと戦争の関わりについて語りかける。

美術の共同体「パープルーム」の展示=東京・国立西洋美術館
美術の共同体「パープルーム」の展示=東京・国立西洋美術館

 このほか、制度批判的まなざしを持つ小沢剛や小田原のどか、弓指寛治、梅津庸一と「パープルーム」、コレクションや建築との関わりに着目して制作した杉戸洋や内藤礼、竹村京らの作品が並ぶ。小さな部屋が乱立し、テキストが多いため「見やすい」展示とは言えないが、それはキュレーターや作家の熱量の表れだと受け止めた。

 内覧会では、参加作家の飯山や遠藤麻衣らがイスラエルのパレスチナ自治区ガザへの侵攻を巡って、美術館オフィシャルパートナーとの関わりを批判するアクションを起こした。一時騒然としたが、飯山の展示との関連性も強く、キュレーターからの「未来像」を問う熱い球を、まっすぐに打ち返した結果だろう。

 5月12日まで。常設展は参加作家、田中功起による美術館への提案を一部反映。本展の前提となる価値観を確かめられる。

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 第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」(横浜市、6月9日まで)では、アーティストが一歩踏み込んで社会と関わるさまが、色濃く表れていた。北京を拠点に活動するリウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)がアーティスティックディレクターを務め、魯迅の詩集『野草』からテーマを据えた。そこから2人が読み取ったのは、激動の時代に雑草のようにしぶとく生きようとする哲学だ。

ウクライナで結成した「オープングループ」らの作品が並ぶ「グランドギャラリー」=横浜美術館で
ウクライナで結成した「オープングループ」らの作品が並ぶ「グランドギャラリー」=横浜美術館で

 世界31の国・地域から93組の作家が参加。メイン会場はリニューアルしたばかりの横浜美術館で、「グランドギャラリー」に足を踏み入れると屋根から自然光が降り注ぐ。しかし、落ち着かないのは、ウクライナのコレクティブ「オープングループ」の映像作品から聞こえる音のせいだろう。避難民たちが、銃砲やサイレンなど「戦争の音」を口まねで表しているのだ。近くにはサンドラ・ムジンガ(コンゴ)による真っ赤な彫刻や、北極圏の遊牧民、サーミにルーツがあるヨアル・ナンゴがつくるキャンプサイトのような空間があり、困難な世界で生き抜く精神と知恵を示す。

中国のエナジー・ウェイビング・コレクティブ(一起練功)は、カンフーの練習を装い、コロナ禍の厳しい制限をすりぬけて集った=横浜市の旧第一銀行横浜支店で
中国のエナジー・ウェイビング・コレクティブ(一起練功)は、カンフーの練習を装い、コロナ禍の厳しい制限をすりぬけて集った=横浜市の旧第一銀行横浜支店で

 特色は美術館の3階と、旧第一銀行横浜支店にある。3階では、魯迅が提唱した、木刻(木版画)運動と日本とのつながりや、日本の植民地支配を自照し続けた富山妙子に大きなスペースをさく。さらに、旧第一銀行横浜支店では東アジアのオルタナティブなコミュニティーを取り上げ、社会において自ら行動するアーティストの姿に光を当てる。

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 これらの展覧会を見るとき、さまざまな問いが頭をもたげる。社会問題は政治問題でもあるが、それを表現するとどうなるのか。「作品」として提示するのを求める一方、作家の行動が展示室をはみ出す場合は? そして見いだした社会的課題が、主催者側に向かう場合は?

 美術館とは五感を満たすだけでなく、議論の場でもあることを再確認する機会となった。

2024年4月15日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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