「キリカエ」シリーズの展示風景

 日本の戦後写真史において、実作と理論の両面で大きな影響を与えた写真家・中平卓馬(1938〜2015年)。昨年から今年にかけて、中平に触れた企画が「風景論以後」(東京都写真美術館)、「挑発関係=中平卓馬×森山大道」(神奈川県立近代美術館葉山)のように続いた。そのうち、開催中の東京国立近代美術館「中平卓馬 火—氾濫」展は没後初の回顧展となる。

大衆文化にまつわる寺山修司のエッセーに中平卓馬が写真をつけた『アサヒカメラ』の連載(1966年)

 活動は大きく三つの時期に分けられる。「アレ・ボケ・ブレ」で知られる同人誌『プロヴォーク』に参加した1960年代後半から、自己批判のうえ過去作を焼却した73年まで。そして77年、病に倒れて記憶の一部を失うまでと、以降晩年まで。初期のフィルムやプリントの多くが失われたなか、何が導かれるか早急に結論づけず、活動の全貌を初期から時代を追ってシンプルにたどっていく。

 面白いのは、さまざまな形で写真を見せていく点だろう。雑誌媒体で主に発表していた初期は、プリントがないことを逆手にとり、掲載された雑誌の現物(とコピー)を多量に展示した。寺山修司らと刺激を与え合いながら、雑誌メディアを通じて社会と切り結んだその時代が、黄ばんだ雑誌のページそのものから伝わる。

 74年に同館で開催した「15人の写真家」展の出品作品「氾濫」(48点のカラー写真)は、二つのバージョンが展示されている。あせたトーンの出品当時のプリントと、18年に新たにプリントしたもの。70年代半ば以降の沖縄や奄美のシリーズでは、プリントと、印刷された雑誌の表紙、さまざまなイメージが変奏され交錯する。

 既存のシステムや権力に異議申し立てしてきた中平は、論考「なぜ、植物図鑑か」(73年)で、初期の写真を否定し、「(写真家が主観的にいだく)イメージを捨て、あるがままの世界に向き合うこと」と記した。

 最後に展示されるカラー64点の「キリカエ」(11年)では、歩きながら出合った光景をクローズアップで撮影している。縦位置の写真群は『プロヴォーク』期の、捕獲した「現実の断片」のようであり、世界にあるがままに向き合った図鑑のようでもある。4月7日まで。

2024年3月18日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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