遠い時代に生きた人物がくっきりと像を結ぶ。こんな体験もまた展覧会に足を運ぶ醍醐味(だいごみ)の一つだろう。そんなワクワクが広がる「大名茶人 織田有楽斎」展が東京・六本木のサントリー美術館で開かれている。24日まで。

 有楽斎の本名は織田長益(1547〜1621年)。信長の13歳下の弟だ。本能寺の変で敵襲から逃げ延びたことから当時のうわさ話集「義残後覚」などに「逃げた男」と記され、「人でなし」のイメージが広まった人物でもある。しかし本当にそうなのか。有楽斎が再興した正伝院の歴史を継ぐ正伝永源院(京都市東山区)と共に本展を主催する同館は、約150件に及ぶ書状や同寺に伝わる茶道具を通してその姿を見つめ直した。

正伝永源院に伝わる織田有楽斎坐像(ざぞう)(17世紀)
正伝永源院に伝わる織田有楽斎坐像(ざぞう)(17世紀)

 会場を巡っていると、自らの茶会に伊達政宗をはじめとする武将や古田織部、本阿弥光悦といった茶人や文化人、高僧を招き、もてなすさりげない姿が浮かんでくる。茶人として同時代の有力者とコミュニケーションを深めた有楽斎は、豊臣秀吉や徳川家康から重要な和平交渉を任される「調整の人」でもあった。悪名高ければそんな役割は与えられないだろう。書状類は同館の安河内幸絵・主任学芸員によって現代語に訳されており、当時のやり取りがいきいきと伝わる。

 先行研究はほとんどなく、専門書も2冊という。本人のものと断定できる茶道具類も数少ない。その中で美意識の一端を示していたのが「呼継(よびつぎ)茶碗(ちゃわん)」(16〜17世紀)だった。茶色い陶器に白い磁器を継いだもので「有楽斎の趣向による」との記録が残る。一見奇抜だが、まとまりのある不思議な独創性を放つ。

「呼継茶碗」桃山時代(16〜17世紀)、永青文庫、通期展示
「呼継茶碗」桃山時代(16〜17世紀)、永青文庫、通期展示

 「鳴かぬなら」から始まる三天下人の人物像を表したホトトギスの句は有名だが、本展に協力した「織田有楽斎四百年遠忌実行委員会」は有楽斎について次のような句を詠んだ。

 「鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス」

 安河内さんは「物事の本質を見抜き、人の心の機微を察することのできる人物だったのでは」と思いをはせた。自らの意思で生き延びる道を選び、戦乱の世で茶道と交渉に役割を見いだした。そして75年の生涯を全うする。今こそ、共感を集める生き様ではないだろうか。

2024年3月4日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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