吹き抜けに設置されたミシェル・ド・ブロワンによる「樹状細胞」
吹き抜けに設置されたミシェル・ド・ブロワンによる「樹状細胞」

 現代美術のなかの椅子なるものを通して世界を見つめる「アブソリュート・チェアーズ」展が埼玉県立近代美術館で開幕した。同館は1982年の開館当時からデザイン椅子を収集する「椅子の美術館」としても知られている。居並ぶ作品は、日常を異化し、不条理を告発し、記憶の深いところをくすぐる。そしていずれにも椅子が登場する、かつてない内容だ。

 タイトルは建畠晢館長がデビッド・ボウイの楽曲「アブソリュート・ビギナーズ」から連想して付けたという。「『絶対的な椅子』という強い語感にひかれた。アグレッシブだったり、不吉だったり、コンセプチュアルだったりとシャープな視点を導入したかった」と振り返る。

マルセル・デュシャン「自転車の車輪」(手前)と高松次郎「複合体(椅子とレンガ)」
マルセル・デュシャン「自転車の車輪」(手前)と高松次郎「複合体(椅子とレンガ)」

 その狙いは五つのテーマに落とし込まれた。まず目に飛び込んでくるのはスツールの座面に車輪が取り付いたマルセル・デュシャンの「自転車の車輪」。既製品の椅子が美術の文脈で用いられた初の作品だ。その奥にはパイプ椅子の脚1本だけがレンガに乗る高松次郎の「複合体(椅子とレンガ)」。ささいな操作によって機能が奪われたこれらは椅子なのか何なのか。第1章「美術館の座れない椅子」から根本的な問いを突きつけられる。

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 第2章「身体をなぞる椅子」は人の体と椅子の関係がテーマ。崩れる身体を支えるものとして椅子を印象的に描いたフランシス・ベーコンの絵画や、ロッキングチェアを用いた映像などから身体と世界を媒介する椅子の役割を浮かび上がらせた。第3章「権力を可視化する椅子」は椅子が人の命を奪い、ヒエラルキーを体現し得る装置であることを示唆した。アンディ・ウォーホルの「電気椅子」は象徴的だ。渡辺眸(ひとみ)がバリケードの内側から捉えた東大全共闘の写真は、ふだんは秩序を維持するために並べられる椅子が一夜にして不満を表す抵抗の道具に転じた様を生々しく伝えていた。

第3章の展示風景
第3章の展示風景

 一方、第4章「物語る椅子」は椅子が個別の人生に寄り添い、私的な記憶を引き受けてきた側面を強調した。潮田登久子の家族写真に控えめに写る椅子や、宮永愛子、名和晃平らによる時間を封じ込めたかのような立体作品は、個人的な記憶と分かちがたく結び付く個別具体的な椅子を喚起するだろう。

宮永愛子「waiting for awakening −chair−」(右)などが並ぶ第4章の展示室
宮永愛子「waiting for awakening −chair−」(右)などが並ぶ第4章の展示室

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 コミュニケーションを促しもすれば切断もする、そんな椅子の働きに目を向けたのが最後の第5章「関係をつくる椅子」。ベンチに仕切りを設けて路上生活者を寝そべらせないようにする「排除ベンチ」は日本特有のものではないらしい。シンガポールのダイアナ・ラヒムはこうしたベンチを花などで飾り、冷酷さをアイロニカルにあぶり出した。また、同館の吹き抜けにはミシェル・ド・ブロワンが直径3㍍の作品「樹状細胞」を組み上げた。足を外に向け等間隔に配置された椅子によるこの球体はコミュニティーについての作品でもあるという。

ダイアナ・ラヒムによる排除ベンチをモチーフにした写真
ダイアナ・ラヒムによる排除ベンチをモチーフにした写真

 絵画、写真、立体、映像からなる計83点は、作られた時代も場所も、手法も一様ではなく、切り口も多岐にわたった。縦軸を貫き通した椅子という存在の奥深さが余韻として残った。5月12日まで。共同企画した愛知県美術館に7月18日~9月23日、巡回予定。

2024年2月26日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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