古賀春江の「海」について話し合いながら作品を読み解く参加者たち=高松市美術館で10月15日
古賀春江の「海」について話し合いながら作品を読み解く参加者たち=高松市美術館で10月15日

 「見えない人」と「見える人」で一緒に美術作品を鑑賞しよう――。そんな取り組みがじわじわ広がっている。にぎやかに話しながらの鑑賞は、各人にとって「見る」とはどういうことか捉え直す機会にもなっているようだ。

 ◇女の人がいて爪先立ち。タイが5匹/魚は海の中?表面?/そうか。これは海の断面だ

 日曜の10月15日午前、高松市美術館に弱視の3人と「見える人」15人が集まった。企画展に絡めた催し「みるって何だろう?―見えない・見えにくい人と共に行う美術鑑賞会」の参加者たちだ。館での同様の取り組みは3月の試行に続いて2回目。参加者たちは3グループに分かれて自己紹介しあってから展示会場に向かう。その中の一人、香川県立視覚支援学校教諭の佐々木光毅さん(52)は、進行性の網膜色素変性症で左目はほとんど見えず、右目は限られた視野でかろうじて見えている状態だという。実は美術にはさほど興味がなく、企画した同僚の朝倉成樹教諭(55)に誘われて気乗りがしないままに参加したと話す。

 鑑賞するのは「20世紀美術の冒険者たち」展。東京国立近代美術館所蔵の洋画や彫刻の名品を中心に、高松市美術館などの所蔵品も加えて近現代の日本と西洋美術の軌跡をたどる本格的な内容だ。とはいえ、参加者たちに堅苦しい空気はない。

 佐々木さんたちのグループは、縦1・3㍍、横1・6㍍ほどの大きさの絵の前で立ち止まり、会話が始まった。青緑色の海に船、工場、潜水艦、数種類の魚の群れ、水着の女性などが描き込まれた1枚。まず「見える」参加者たちが、「船は帆船みたい」「画面の下の方には内部が透けて見えている潜水艦があります」「女の人がいて、爪先立ちです」「小さなタイが5匹います」などと口々に説明する。

 それを聞いた佐々木さんは、描かれているものの雑多さに「(どういう絵なのか)分からない」と苦笑しつつ「魚は海の中にいるの? それとも表面?」と問いかけた。すると「見える」参加者が「そうか。海も(潜水艦と同じように)スパッと縦に(断面が)切り取られて、中が透けているんだ。それで海中の魚が見えているんだ」と気づいて応答。それを聞いて、なるほどとうなずく人もいた。

 さらに佐々木さんが「帆船と潜水艦が一緒に画面にあるのは、ひょっとして過去と未来ということ?」と投げかけ、他の参加者から「(画面に)人工的なものも命(生き物)もある」と呼応するような声が上がったあたりで「そろそろキャプションを読んでみましょうか」ということに。

 この絵は1929年に発表された「海」という古賀春江の作品。展示解説によると、発表当時「超現実主義絵画」と評され「水着のモダンガールと工場、潜水艦と帆船、飛行船と魚は、形としては似通いながらも、対比的な位置づけにある。近代文明を象徴するモチーフを対立させることによって、よりよい現実、すなわち超現実を目指そうとしたのだろう」とされている。佐々木さんも「そういう手法があるんやね」と、納得した様子を見せた。

 1時間ほどのにぎやかな鑑賞時間を終え、佐々木さんは「他の人に代わりに見てもらって、何か絵の力が伝わってくるのを実感できた。もっともっと絵を見たいなという気持ちが湧いてきた」と気持ちの変化を語った。他のグループの「見える」参加者たちからも「これまで一人で何十回も見たことのある絵にも、新しい発見があった」などと、グループ鑑賞ならではの感想が相次いだ。

 美学者の伊藤亜紗・東京工業大教授は「見えない人」を巡る身体論として話題を呼んだ著書「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書、2015年)で、こうした鑑賞の仕方を「ソーシャル・ビュー」と呼んだ。見えないという障害が触媒となって、見える人の言葉が引き出される。そうして、他人の見方を自分で実感する(他人の目で物を見る)ことの豊かさを、見える人も経験する。そうした共同作業が行われるからこそ、互いの違いが生きてくる――と指摘している。今回の催しを企画した朝倉さんは、この本に触発されて取り組みを始めたという。

 視覚障害がある人との鑑賞実践を20年来続けている日野陽子・京都教育大准教授は、こうした日本での取り組みを3段階に分けることができると考えている。

 まず「触る」ことで、見えない人にアートを開こうとした時代。いくつかの盲学校からの流れで1950年代から美術教育に取り入れられ、84年に東京都渋谷区にオープンした私設美術館「ギャラリーTOM」や全国の美術館に広がった。

 第2段階は90年代以降の「言葉」によるもの。これには二つの流れがあり、一つは、京都の団体「ミュージアム・アクセス・ビュー」など草の根からの動き。もう一つはニューヨーク近代美術館で始まった対話型鑑賞が各地の美術館に取り入れられたものだという。

 そして2010年代以降は第3段階として、「触る」ことと「語る」ことを再考する時代だという。見えない人が語り手となるような試みも増えているそうだ。

 10月15日の高松市美術館では日野さんの助言を受けながら、朝倉さんが進行を務めた。

 事前に鑑賞のポイントとして参加者に伝えたのは「見えているもの(絵画の大きさ、色など客観的な情報)と見えていないもの(印象、思い出した経験など、その人にしか分からない主観的な意味)の両方を言葉にしてください」ということ。そして、四つの「しない」ルールとして、「静かに鑑賞しない」「見える人は一方的に話さない」「見えない人は受け身にならない」「すべてを分かり合おうとしない」――ことを挙げた。さらに、展示解説を最初に読むことも控えるよう求め、一つの「正解」に向かう一方的な「解説」に収まらず、互いに発言し合うように促していた。

 催しを終えて、朝倉さんは「見えない人や見えにくい人と対等の立場で一緒に鑑賞することで、より幅が広がるのではないか。他のミュージアムでも取り組んでみたい」と意欲を見せていた。

2023年11月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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