奈良美智さん=青森県立美術館の再現したロック喫茶で、高橋咲子撮影

 「奈良美智:The Beginning Placeここから」展(来年2月25日まで)の初日、青森県立美術館には開館を待ちわびる人が列をつくっていた。故郷での展示、しかも巡回はしない。ここだけの展示だから、いっそう関心を高めたのだろう。

 「自分ちみたいな」勝手知ったる美術館、同じ弘前市出身で旧知の学芸員、高橋しげみさんとの仕事。いつになくリラックスして展示作業を終え、自分のことを客観的に見られる展示になった、という。

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 初めて展示された油彩画がある。20歳で描いた「カッチョのある風景」。ドイツにいく前に捨てたのを、後輩の美術家、杉戸洋さんが見つけて保管していたものらしい。絵のなかで、道の左側には民家が、右側にはカッチョという防風柵がそびえる。道のわだちも空も屋根も、青い空気に満ちている。

 思い出す故郷はどのようなものなのだろう。「ドイツに12年住んでたんだけど、冬は曇り空ばっかり。外に出ると、光の感じとか、日が早く暮れる感じとか、こっち(青森)にいたときのことをいっぱい思い出す。その時代に、みんなが知ってるような子供の絵が生まれた。だから、いつも思うのは、自分は目に見えないものを表現しようとしているということ。目に見えないから具体的な説明はできないんです。でも、幼いときに感じた寒い冬の朝の空気とか、そのようなものに別の場所で出合ったときに、まぶたの裏に昔の記憶がよみがえってくるんです」

 「カッチョのある風景」も、故郷を離れた後に生まれた。道の奥にはかっぽう着姿の女性が小さくたたずむ。「お母さんですか?」。尋ねると、「じゃあないけど、イメージとしての母親です」。女性は背中を向けて立っている。「後ろ姿はいつも見てたね。母親はずっと働いてて、家に帰ってくるとすぐ食事の支度をするから、いつも背中しか見ることができなかったので」。絵のなかの女性も、生活を知る背中をしている。

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 弘前に小さなロック喫茶があった。高校生のときに「手先が器用だから」と、先輩から誘われて一緒に作った店だ。展覧会の最後の章は「ロック喫茶『33 1/3』と小さな共同体」と名づけられていて、このロック喫茶を再現して展示している。

 外装や内装、テーブルや椅子まで自分たちで仕上げ、レコードの選曲も一緒に考えた。常連客も交えて付き合いは深まり、進む道もここから見えてきた。「年上の人たちと知り合って文学や映画、音楽の話をするなかで、美術のことも出てきて。で、『お前、絵がうまいから美大とか行ったら?』って。それで『俺でも受けられるの?』みたいな。そういう出会いがあった」

ロック喫茶「33 1/3」(青森県弘前市)の前の奈良美智さん(右)と友人たち、1977年

 転機だと振り返る東日本大震災以降、意識して小さなコミュニティーを訪ねるようになった。その土地の人たちと交流しながら、制作を続けている。「確かに、全部あの頃やっていたことに戻ってきてるなあ」とつぶやく。学芸員の高橋さんと展示を作るなかで、「一番下にあって、めくってもめくってもたどり着けなかったもの」に気づかされたのだという。「いろんなことを知っている人たちと、まだ何も知らない16、17の自分が出会ったあの場所が原点なんだなと、うん」

 ◇台湾での豊かな出会い

 旅を続けている。震災後は「ただ制作する人にはならない」と決め、各地を巡った。「旅」の章にある写真には、歩いて見つめた視線の先が等身大に表れている。

 なかでも台湾とは縁がつながっている。見せてくれたスマートフォンの画面には、行った先を示す印が地図にびっしりと付いていた。最近訪れたのは、台湾原住民のタオ族が暮らす島、蘭嶼(らんしょ)だといい、先日の台風被害を心配して「なんかできないかな、と思ってるんだけど」と言う。展示されている巨大な少女像「Hazy Humid Day」は、台湾滞在中の空気を思い出して描いたものだ。奈良さんの作品にはファンが多いが、人との交わりのなかで受け取った愛情を作品に返し、また親密な感情は循環していくのだろう。

PROFILE:

奈良 美智(なら よしとも)

1959年 青森県弘前市生まれ
 87年 愛知県立芸術大大学院修了
 93年 ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー修了
 94年 ケルンに移る
2000年 日本に帰国
 01年 翌年にかけて横浜美術館など5カ所で国内初の本格的個展開催
 06年 弘前市の旧吉井酒造煉瓦(れんが)倉庫で「A to Z」展開催
    米アジア・ソサエティ美術館で個展開催。同館最多入場者数記録
 20年 米ロサンゼルス・カウンティ美術館、台湾の4美術館、中国、オーストラリア、オーストリアなどで個展開催

2023年11月5日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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