女流美術家奉公隊「大東亜戦皇国婦女皆働之図 春夏(三部作)の部」(1944年)筥崎宮蔵

 ◇負の歴史見つめ、学びに

 <戦争は男だけのものではない>。第二次世界大戦中、こう宣言した女性アーティスト団体があった。「女流美術家奉公隊」を名乗った彼女たちは1944年、巨大な戦争画を共同制作。男性画家が戦場の兵士を主なモチーフとしたのに対し、女性による銃後の労働をコラージュ的に描いた。彼女たちはなぜこの絵を描いたのか。

 作品タイトルは「大東亜戦皇国婦女皆働之図(かいどうのず)」。「春夏の部」「秋冬の部」、そして所在も内容も不明の「和画の部」から成る3部作だ。「春夏の部」「秋冬の部」はそれぞれ巨大な画面(縦約1・9メートル、横約3メートル)が細分化され、戦闘機や砲弾の生産、旋盤工など女性による計42種類の労働が描かれている。

 美術史・ジェンダー史研究者の吉良智子さんは新著『女性画家たちと戦争』(平凡社)で、43年に女性美術家約50人が結成した奉公隊と、記念碑的作品「皆働之図」に光を当てた。2015年刊行の新書『女性画家たちの戦争』(同)を基に、新出資料や新たな知見を盛り込んだ一冊だ。

 奉公隊のメンバーには、リーダー的存在だった洋画家の長谷川春子(1895~1967年)、同じく洋画家の三岸節子(05~99年)、前衛画家の桂ゆき(13~91年、当時はユキ子)らが名を連ねた。陸軍省の依頼を受け、桂の下絵を基に総勢約40人で「皆働之図」を制作。場面ごとにタッチが異なるため統一感に欠けるものの、衣服の模様など細部まで描き込まれ、時代を記録しようという描き手たちの熱意が伝わる。

吉良智子さん=平凡社編集部提供

 「戦後の感覚からすれば、戦争にのめりこむなんて良くないこと。なのにどうして女性画家たちはこのような絵を描き、戦争遂行を支えたのか。そこには理由があるはずで、それを考えたかった」と吉良さん。また、美術作品は、いつの時代も政治や社会と無関係ではないことも強調する。ある時は権力者に利用され、ある時は社会のステレオタイプを強化する。「そのことを抜きに、目の喜びだけを求めて研究するのは嫌なんです」

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 本書は一貫して女性と社会の関係に目を凝らす。前半は、明治期の女子美術教育の始まりを起点に、女性がアーティストになりにくかった当時の社会構造などを浮かび上がらせる。戦時下の表現を扱った章では、「描かれる対象」としての女性に注目する。

 37年に始まった日中戦争以降、従軍画家は増え、39年に陸軍美術協会が発足。「聖戦美術展」や「大東亜戦争美術展」が各地を巡回した。そうした戦争美術展で、男性画家によって継続的に描かれたのが「祈る女性像」だった。本書によると、戦局悪化に伴う人員不足のため勤労する女性が増えていたにもかかわらず、そうした女性を描いた作品はあまりに少ないという。

 このズレは何か。吉良さんは良妻賢母思想と関わりがあるとみる。良妻賢母は明治期につくられた女性像だ。それは女性を「家庭」という領域に囲い込み、家事・育児といった性別役割分業を推し進めた。「『祈る女性像』が多く描かれたことを考えると、すごくずるいなって思うんです」と吉良さん。「近代戦は、後方支援する銃後の女性の労働なしには成立しない。一方で女性を家庭から引っ張り出すことは、良妻賢母の規範に背くことになる。だから(国は)働く女性を手放しでは評価したくない」と解説する。量産された「祈る女性像」には「都合良く女性を使おうとする家父長制社会の本音がありありと表れている」と指摘する。

 では「皆働之図」はどうだろう。題名の通り、皆あくせくと働いている。男性不在のこの絵は、女性たちが描き手だったからこそ生まれたと吉良さんは考える。「皆働之図」には戦時下で男性と同等に活躍したいと願う女性の、地位向上への欲望が図らずも表現されているのではないか、と。なぜなら男性中心の画壇で確固たる基盤を持たない女性画家たちにとって、奉公隊の活動は社会的に認知される格好の場になりえたからだ。

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 <戦争は男だけのものではない>という冒頭の一文にも、そんな願いがにじむ。この言葉は近年発見された資料に記されていた。奉公隊が43~45年に全国で開いた展覧会目録の趣意書だ。「女だって戦っているという宣言のように感じました」と吉良さん。女性が積極的に戦争へ加担した歴史に触れ、「複雑な気分になる」とも明かす。「女性は戦争に翻弄(ほんろう)され、涙ながらに従わざるをえなかった」という戦後教育の認識を、「皆働之図」は完全に覆すというのだ。

 とはいえ、そうした「歴史のつまずき」から目を背けてはいけないと力を込める。「実は女性も積極的に戦争に関わっていたという歴史に向き合わないと、同じような事が起きる。自分たちの解放のために権力に乗っかり、誰かの苦しみを見なかったことにするのは本当に自分たちのためになるのか。そんな問いをはらむメッセージとしてこの絵を受け止めるべきだと思います。彼女たちを断罪するのではなく、歴史の検証を通して私たちの学びにすることが大切です」

 「皆働之図」は44年の陸軍美術展に出品された。敗戦後、焼却される寸前だったが、長谷川の反対で保管されることになったそうだ。現在、「春夏の部」は筥崎宮(はこざきぐう)(福岡)、「秋冬の部」は靖国神社遊就館(東京)がそれぞれ所蔵する。

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 吉良さんが「皆働之図」と出会ったのは大学生だった90年代前半。戦後50年を前に戦争画の研究が進んでいた。同じ頃、ジェンダーに関する大学の授業も増え始めた。女子大で美術史のゼミに所属していた吉良さんは、その両方に関心を持つように。やがて「皆働之図」の存在を知り、この絵と奉公隊について調査する日々が始まった。

 「皆働之図」は決して過去の遺物ではない。吉良さんは2015年に成立した「女性活躍推進法」について「『皆働之図』を文章化したようなもの」と言い表す。女性差別の構造には目をつむったまま、「女性の労働力だけをむしりとりたいという国家の思惑が透けて見える」。そこに、落とし穴はないだろうか。かつてこの国が、社会に認められたいと願う女性画家たちの感情を都合良く利用したように。

 研究者として捉える射程は長い。「例えば昨今、問題視されているアート界のセクハラやパワハラの構造は、私の論じる近代にすでにあった。にもかかわらず、それに対して何かを書くことを私自身してこなかったという反省があります。現実を変えるためにも過去を見つめ直したい。歴史研究は今この現在、そして未来のためにあると思うのです」

2023年11月5日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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