創立100年を記念したファッションショーは「Pulse」と題し、在校生と卒業生が力を合わせて実現させた=文化服装学院提供
創立100年を記念したファッションショーは「Pulse」と題し、在校生と卒業生が力を合わせて実現させた=文化服装学院提供

【カルチャースコープ】
創立100年 文化服装学院/上
基礎を根幹におごらず改革

文:相原幸子(文化服装学院学院長)

ファッション

 今年6月、文化服装学院は創立100周年を迎えました。
 時代をリードする気鋭のデザイナーやクリエーターをはじめ、これまで30万人以上の卒業生を輩出してきた文化服装学院の歴史は、大正時代にまでさかのぼります。

 まだまだ着物が主流だった時代、「これからは洋服の時代が来る」と予見し始まった洋裁学校が、日本初の服装教育の学校として認可されたのは1923年のことです。「着物から洋服へ」という機運の高まりは空前の洋裁ブームを生み、57年には初めて男子学生が入学。洋裁は女性のものという認識を変えた文化服装学院は、洋裁学校からファッションスクールへと進化しました。

 さて、日本のファッションの歴史は、文化服装学院の卒業生の活躍の歴史といっても過言ではありません。

 70年代には高田賢三さんが世界中でKENZO旋風を巻き起こし、80年代には山本耀司さんをはじめとする日本人のクリエーションが「黒の衝撃」とよばれ、世界のファッション界を席巻しました。ストリートファッションが注目されるようになった90年代初頭には高橋盾さん、NIGO®さんが登場。裏原ブームの先駆けとなり、現在も第一線の活躍をみせています。2000年代半ばごろから台頭してきたファストファッションブランドにおいても、本学の卒業生がつくる側、流通・販売の側まで多岐にわたって携わっています。ファッションにさしたる興味のない方であっても、なにげなく選んだジャケットやシャツ、小物に至るまで卒業生が関わっていると思えば、こんなに誇らしいことはありません。

 また今回、第41回毎日ファッション大賞大賞を受賞された「マメクロゴウチ」デザイナーの黒河内真衣子さんも文化服装学院の卒業生です。実は私の教え子の一人。多くの人気デザイナーを輩出しているファッション工科専門課程アパレルデザイン科の教室で共に過ごした日々が蘇(よみがえ)ります。

 このように各時代を代表するクリエーターを次々と世に送り出してきた文化服装学院の教育の根幹にあるのは「服づくりの基礎、技術力」です。基礎とは、より自由な表現を可能にする土台。さらには、そうした学びを共にする仲間同士で刺激し合い、競い合える環境に身を置くことで、教えたこと以上の実力を発揮するようになるのでしょう。

 また「もっと学びたい、知りたい、やってみたい」という学生の意欲を削(そ)がないためにも、専門書を中心に33万冊を収蔵する図書館、衣服や染織品などを通して各国の歴史・文化に触れられる博物館、大規模ファッションショーを開催できる大ホールなど、服飾学校としては世界的にも類のないレベルで設備の充実を図ってきました。

 こうした歴史と実績から、文化服装学院は数あるファッションスクールランキングにおいて世界屈指、またアジアナンバーワンの教育機関であるという評価を得ています。しかしこれにおごることなく、ファッションには何が求められるのかをいち早く察知し、次世代に必要な改革をしていきたいと考えています。

 その第一歩として、来年度にはアパレルのDX化に対応できる3Dモデリストを育成する「バーチャルファッションコース」を新設します。〝テクノロジーとクリエイティブの融合で、これまでなかった価値観を創出し、新たな可能性を切り拓(ひら)く〟ための挑戦が始まります。

 人間は古来、環境や立場に合わせた服を着ることで社会生活を営んできました。生活の基本的な要件とする衣食住の一角を成すファッションを生み出し、服づくりができる人材はこの先も社会にとって必要不可欠だという強い信念のもと、目の前の学生一人一人の学びの要望に応える教育を継続していきたいと思います。

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■人物略歴
◇相原幸子(あいはら・さちこ)氏
 1956年生まれ。2017年7月から文化服装学院学院長を務める。76年に同学院服装産業科を卒業後、教育専攻科に進学。卒業後、38年間の教員生活で送り出した卒業生は3000人に上る。

2023年9月10日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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