福田亨「吸水」(部分)2022年 木彫
福田亨さん

 「今は作家一本で食えていますが、スリル満点です」。大阪で開催中の展覧会「超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA」に最年少で出品した木彫作家、福田亨(とおる)さん(28)。北海道北部の過疎の村で腕を磨いてきた。「安定」に背を向け、大好きな世界で勝負する福田さんの歩み、そして思いとは?

 超絶技巧展は木彫や漆工、陶磁、金工などの現代作家17人による作品を、ルーツとなる明治時代の工芸とともに紹介する。ここに並ぶ福田さんの木彫作品「吸水」は、立体木象嵌(もくぞうがん)という独自の手法で3匹のアゲハが水を吸っている姿を実物大でかたどっている。着色はせず、さまざまな木で作ったパーツをはめ込んでいる。工房には常に150色以上の木片を保管しているそうだ。水滴は土台の黒檀(こくたん)の一部をろうで磨き上げて表現した。展覧会を監修した山下裕二・明治学院大教授をして「驚嘆すべき完璧な出来栄え」と言わしめた。

 福田さんは、札幌から電車で約40分の小樽市出身。幼い頃から絵や工作が好きで、小中学生時代は折り紙作家を目指していた。進学先に悩んでいた時、音威子府(おといねっぷ)村にある全国唯一の村立全日制高校、北海道おといねっぷ美術工芸高(おと高)を知った。稚内と旭川の中間にある音威子府はかつて林業が盛んで、1984年に誕生したおと高は芸術で活性化を図ろうとする村の顔。全国から集まる生徒100人余りが村に住民票を移し、寮生活を送る。

 おと高での学びは多かった。木工の授業で、走ると尾びれや背びれを振るサメ型の車を作った際、サメ肌のグレーに似た色のホオノキを探し当てた。木が持つ多様な色彩に感動し「木で絵を描きたい」と思った。ある時は、枯れ葉模様の皿作りに挑戦。別に用意した模様を貼りつけるとでこぼこになるため、模様と同じ形、大きさに皿を彫り込み、埋め込んだ。すると先生から「へえ、象嵌やってるんだ」と言われ、初めて伝統技法だと知った。やがて、平面ではなく立体的な象嵌の技をつかんだ。

砂澤ビッキ=河上実さん提供

 音威子府はアイヌ民族にルーツを持つ現代彫刻家の砂澤ビッキ(1931~89年)が「匠(たくみ)」の象徴として招かれ、暮らした村だ。福田さんはおと高在学中、ビッキの記念館「エコミュージアムおさしまセンター」でボランティアリーダーを務めた。来館者に解説しながら作品に触れるうち、自然を敬愛するビッキのスタンスが染み込んできた。

 卒業後は京都伝統工芸大学校(京都府南丹市)で木の板を組み合わせて家具や器具を作る「指し物」を専攻。いったん埼玉県の家具工房に就職したが、22歳になって自分の生き方を考えた時、頭に浮かんだのは象嵌と、その原点になった音威子府だった。

 音威子府は40年以上前から「森と匠の村」として芸術による活性化に取り組んできた。だが昭和30年代に4000人前後あった人口が今ではわずか約650人。村はおと高卒業生を迎え入れたがっており、福田さんが「作家として食っていけるまで頑張るから仕事がほしい」と直談判すると、木工体験施設の指導員として受け入れてくれた。村の嘱託職員だ。働きながら創作に没頭した。

 ビッキの魂を思い起こし、題材の多くは地元の自然に求めた。中でもチョウに魅せられ、標本を作って凝視。「繊細なチョウを作って初めて、木をこんなに細く、薄くできるんだとか、こんな色を持ってるんだと気付くことができた」。カタクリにヒメギフチョウが飛んでくる様子を実物大で捉えた「Niwa―カタクリ」(超絶技巧展で展示中)は、音威子府で最も感動したシーンそのものだという。

福田亨「Niwa―カタクリ」(部分)23年 木彫

 ◇「在校生の希望に」

 芸術一本で食べていく手応えをつかんできた福田さんは昨年7月、埼玉へ移った。「まだ作家としての芯が通っていない」。新たな刺激を得て芯を通し、さらに太くしようという狙いだ。テーマである自然が豊かな山梨や長野に行きやすく、東京都心に近いため個展を開くにも都合がいいという。

 いったん離れたものの、北の大地、音威子府への強い思いは増すばかりだ。「ビッキという支えがなくなって30年以上たった。自分が作家として食べていくことで在校生の希望になりたい」

福田亨「Mushikago(カブトムシ)」21年 木彫=本人提供

 「超絶技巧」展は大阪市阿倍野区のあべのハルカス美術館で9月3日まで。

2023年8月16日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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