家は高台にあって窓の外はすぐ空だ。先月、野見山暁治さんが逝った後、私は夕方ぼんやり茜(あかね)色の空を眺めている。今頃、野見山さんはどの辺りを飛んでいるだろう、と。
他人の顔のことは言うなと祖母に教えられたが、やっぱり私は言いたい。野見山さんだって私の顔のこと書いたじゃないですか。
「村田はだんだん犬の顔に似てきた」
すると装幀(そうてい)家の女友達が言う。
「犬ならいいじゃない。ラブラドールのユーリィに似てきたんだもの。その目なんか親子みたいに似てる。でもあなた、野見山さんの顔のこと、一遍(いっぺん)描いて消し損なったみたいって。それは失礼よ」
そうなのだ。野見山さんの顔は何だかぼんやりしていて、濃いところと薄いところとあって、一度デッサンの輪郭線を描いて、あっ、違ったってパパッと消した跡みたい。でも消しゴムで消した跡とはねえと彼女は言うが、つまりそうやって野見山さんの顔は抽象になったのだ。人の顔は沢山(たくさん)あるが抽象は珍しい。
「なら具象の顔もある?」
「作家の田中小実昌さん。妻は野見山さんの妹よね」
小実昌さんの顔は濃い。そしてもう1人。
「ピカソ……」
どう? あの眼光鋭いギョロ目。具象の意味がわかるかな。ついでに言うと野見山さんは昔、パリ滞在中にある画材屋に入りかけて、窓ガラス1枚はさんで、店内の一人の男がこちらを凝視していることに気付いたのだ。
「その顔がね、僕のほうを、何だ此奴(こいつ)は!という風に睨(にら)んでいるんだ。僕も、あっ、ピカソ!と動けなくなった」
たぶんピカソは東洋人の抽象的・野見山さんの顔貌に愕然(がくぜん)として、野見山さんは彼の猛禽類(もうきんるい)的・具象の面相に気押(けお)された。やがて野見山さんは気持ちを鎮めて店に入り、絵筆を購入して外へ出た。その後の話は知らない。
野見山さんは自分の絵についてこう言う。
「僕の絵は抽象じゃないよ」
えっ? 野見山さんの顔が抽象じゃないと言い張るなら、それは譲歩しないでもないが、あの絵、例えば東京メトロ銀座線の青山一丁目駅に架かった、あの葉っぱのお化けみたいなステンドグラス。タイトルは「みんな友だち」だけど、あれのどこが具象ですか?
いくら聞いても暖簾(のれん)に腕押し、返事なし。野見山さんは私の生まれた北九州の隣、筑豊の炭鉱主の息子だ。それかあらぬか、若い頃は暗い炭鉱の具象みたいな絵が多くて、あまり好きじゃなかった。それがいつ頃か、形が溶解、色鮮やかにナナハンのオートバイのエンジンを掛けたみたいに、バリバリと絵が動き始めた。その顔でその年齢でこのエネルギー、この爆発力は何なのだろう。
旧石橋美術館(福岡)の回顧展では対談の役を仰せつかり、舞台に上がると野見山さんのおでこと鼻に大きな絆創膏(ばんそうこう)がベッタリと貼り付いている。90歳で糸島の海に潜って岩に顔面をぶつけた。出血が止まらず大騒動だったとか。抽象の顔に大きな真っ白い絆創膏。何をしゃべっても聴衆は爆笑、爆笑の渦だった。
私は夕焼け空に野見山さんの名を呼ぶ。
「おうーい、今どの辺りを飛んでますかー」
「そろそろ具象の域を抜けた辺りだよー」
行き先は西方極楽浄土か、天国か。
「なあに抽象空間さー」
ああ、そうですよね、最終的には……。
◇
画家の野見山暁治さんは6月22日、心不全のため死去。102歳。
2023年7月27日 毎日新聞・東京夕刊 掲載