極めてシンプルな彫りなのに何とも表情豊かな仏たち。江戸時代前期の修行僧、円空(1632〜95年)が、飢えや病に苦しむ民を一人でも多く救いたいと彫り続けた「円空仏」は、今もなお人々の心に救いをもたらしている。初期から晩年までの約160体を集めた「円空—旅して、彫って、祈って—」が4月7日まで、あべのハルカス美術館(大阪市)で開かれている。
円空の前半生は明らかになっておらず、現在確認されている最古の作品は32歳ごろのもの。当初はなめらかで丁寧だった彫りが、40代に入るとごつごつと大胆な表現へ変化していく。四角い材木に極限まで省略された彫りを施したり、朽ちた流木の形を法衣に見立てたり。「生涯で12万体彫る」と誓ったという円空。愛知・荒子観音寺に伝わる「千面菩薩厨子(ぼさつずし)」(76年ごろ)に収められた1024体の菩薩像には、最小限の彫りで柔和な表情が表現されている。
シンプルな彫りとともに特徴的なのは、独自の解釈に基づく造形。岐阜・千光寺に伝わる「両面宿儺坐像(すくなざぞう)」(85年ごろ)では、天皇に反逆した悪人として日本書紀に描かれ、多くが異形の立像として残る「両面宿儺」を、穏やかな表情の坐像として表現した。手に弓矢ではなくおのを持ち、背面ではなく顔の横からもう一つの顔がのぞく。当地では悪鬼を倒した英雄と伝わる武神は、生き生きとした印象を与える。
円空は、1本の丸太を縦に割った材を多く用いた。わかっている中で最後の作品「十一面観音菩薩及び両脇侍立像」(92年、岐阜・高賀神社)もその一つ。中央の像に半分、両脇に4分の1ずつを使った3体には、材それぞれの特徴が生かされており、同館の米屋優・副館長は「木の中に仏性を見ていた円空の仏作りがよくわかる」と話す。
千光寺の「観音三十三応現身立像」(85年ごろ)も、1本の角材を四つに割って作られている。合掌や台座は材そのまま、目や眉が一筋のノミで表現された素朴な像は、村人が病を得ると1体借りて持ち帰り、枕元に置いて、治ると寺に返していたという。中には返ってこないものもあり、現在残るのは31体。人々のすぐそばにいた円空仏は、柔らかな笑みをたたえていた。
2024年3月11日 毎日新聞・東京夕刊 掲載