今年は仏の詩人、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表して100年にあたる。20世紀の芸術運動としては最大規模を誇ったシュールレアリスムの、日本における受容と展開をたどった展覧会「シュルレアリスムと日本」が東京の板橋区立美術館で開かれている。
「東京モンパルナスとシュールレアリスム」(1985年)、「福沢一郎絵画研究所 進め!日本のシュルレアリスム」(2010年)、「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」(21年)といった、国内のシュールレアリスム運動に光を当てた展覧会をたびたび企画してきた同館。弘中智子学芸員は、共同企画した三重県立美術館、京都文化博物館と共に「10年以上前から企画を温めてきました」と明かす。
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夢や無意識下にあるものをのぞき込み、深層心理を探究するシュールレアリスム。本展は、東郷青児が1929年に二科展に出品した「超現実派の散歩」や古賀春江の「鳥籠」、福沢一郎の「他人の恋」を日本の美術界に現れたシュールレアリスム的表現の先駆と位置づけた。
30年代に入るとエルンストやマン・レイといった海外のシュールレアリストらの作品を含む「巴里新興美術展」が全国を巡回する。画学生らがグループ展などのために作成したパンフレットなどから当時、彼らの間に走った衝撃が伝わってくる。仏のシュールレアリストが考案した、何人かで一枚のデッサンを完成させる「妙屍体(みょうしたい)」という遊びが日本でも行われていたことを示す作品も面白い。
戦時下ではシュールレアリスムは検閲や弾圧の対象となった。治安維持法違反で逮捕されたのはリーダー的存在だった瀧口修造や福沢だけではなかった。広島の画家、山路商は拘留中に結核を患い40歳で亡くなった。戦地ビルマで行方不明になった浅原清隆、乗っていた輸送艦が攻撃を受けて死亡した長野の教員、矢崎博信ら、戦争に翻弄(ほんろう)された各地の若き画家らの作品も一堂に会する。
ハイヒールが子犬に、リボンが鳥に変化する浅原の「多感な地上」は、ダリが提唱した「ダブルイメージ」を援用する一方、からりとした詩情や抑制的で温かみのある色遣いが「日本的」とでも言いたくなる。欧州のシュールレアリストらの表現を模倣するだけではなく、ブルトンの宣言に着想し、それぞれが独自に表現を深めた様も伝わる。不安定な時代に、自我を超えたところに生の手がかりをつかみ取ろうとしたのだろうか。
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40年に及ぶ収集の蓄積を生かし、全約120の作品と資料のうち31点は板橋区立美術館の所蔵品で構成した。またこの間、個別研究が進んだ作家らの作品を東北から九州まで所蔵家や美術館をまわって集めたという。松岡希代子館長が「区立という小さい単位の美術館だが、美術史を作り上げていく仕事をしている実感があった」と振り返る通り、同館にとってひとつの到達点となる展覧会だ。
2024年3月11日 毎日新聞・東京夕刊 掲載