印刷技術としては古くからあった版画が「芸術」の一ジャンルになったのは近代以降のこと。以来、版画ならではの優れた作品が生まれる一方で、印刷物でもあり作品でもあるという性格から、近現代の芸術にさまざまな問いを投げかけてもきた。和歌山県立近代美術館の企画展「モダン・プリンツ コレクションにみる世界の版画」では、多彩な版画作品を楽しみながら、近現代芸術のありようを考えることができる。
同館の海外コレクションを、八つの章で展開する。「木版画とジャポニスム」と題した章では、浮世絵に影響を受けた19世紀末~20世紀初めの作品を展示。来日して浮世絵の技法を学んだプラハ出身のエミール・オルリク(1870~1932年)は、銅版画や石版画が主流だった欧州に木版表現を紹介した。ドイツ人画家、バルター・クレム(1883~1957年)の「スケート場」(09年)は、黒いシルエットで人間を表したり、紙の白で雪を表現したりする方法に浮世絵の影響が見られ、構図だけではなく、木版画の表現法そのものが欧州の画家に影響を与えたことがわかる。
クレムと同郷のカール・ティーマン(1881~1966年)の木版画「菊」(34年)には、余白に「オリジナル木版画」という書き込みがある。戦後、版画作品は余白に限定部数を書き込むことがルール化された。では希少ゆえに芸術なのか。そう問いかけるのが「版画と印刷」の章だ。ポップアートの代表作、アンディ・ウォーホルの「キャンベル・スープ2」と、ピカソら巨匠の展覧会ポスターを並べて展示。青木加苗学芸員は「鑑賞の対象には普通ならないキャンベルスープは美術作品なのに対し、ピカソの絵であってもポスターは印刷物。何が『美術』というものを保証するのか。考えるきっかけにしてもらえれば」と語る。他にムンクやピカソらの版画作品や、マティス晩年の挿画本「ジャズ」なども展示。26日まで。月曜休館。
前衛書から墨による抽象表現へと向かったパイオニアで昨年3月に107歳で亡くなった篠田桃紅さん。画業を振り返る回顧展が東京・初台の東京オペラシティアートギャラリーで開かれている。
父親の手ほどきで書に親しむようになった桃紅さんは20代前半で家を出て、書を教えた。次第に書道にとらわれない表現を目指すようになり、1956年には単身でニューヨークへと渡る。本場の抽象表現主義の画家らと交流を重ね、墨を用いた美術家として欧米でいち早く評価を得た。帰国後は団体やグループとは距離を置き、孤高の境地で墨と向き合った。
今回は、初期の前衛書や晩年に筆を走らせた和歌など、これまでの回顧展ではあまり焦点が当たらなかった作品にも厚みを持たせた。同ギャラリーの福士理学芸課長は「『書くこと』と『描くこと』両方を見ることで桃紅さんが追い求めていたことが総体として理解できる」と語る。スライドショーでは丹下健三らモダニズム建築家と取り組んだスケールの大きな仕事も紹介する。
とはいえ、やはり見どころは帰国後に手がけた強く骨太な抽象画の数々だろう。色数は少なく、主に墨の黒と金、銀、朱色。和紙の他、カンバスに描いたものもある。桃紅さんは生前、「抽象表現は、自由なようでいて、内的な制約はかえって強い」と語った。太い線と面による構成にはグラフィックデザインに通じる厳しさがただよう。しかし時折、愛好した能のモチーフが顔をのぞかせたり、墨特有のにじみや濃淡が優しい表情を見せたりもする。いわゆるミニマリズムとは一線を画す「血の通った抽象表現」(福士課長)が体感できる。22日まで。一方、東京・虎ノ門の菊池寛実記念智美術館では18日~8月28日、「篠田桃紅 夢の浮橋」が開かれる予定。
2022年6月1日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載