建築家・黒川紀章の代表作、中銀カプセルタワービル=東京都中央区で2022年4月8日、平田明浩撮影
黒川紀章氏=東京都内で2007年2月22日、竹内幹撮影

 サイコロのようないくつもの住戸がそびえる「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」(東京都中央区)の解体工事が進んでいる。日本を代表する建築家、黒川紀章(1934~2007年)の傑作として注目を集めた集合住宅だ。生物が新陳代謝するように、時代や必要性に合わせて建物が変化する「メタボリズム」の思想を象徴するビルとして半世紀にわたり知られてきた。ビルは解体されるものの、この地で生きたカプセルはこれから、第二の人生を歩み出す。

 ◇カプセル交換で200年維持を

 解体は4月12日に始まったが、連日、別れを惜しむかのように多くの人々がビルの周りでスマートフォンやカメラをかまえ、その姿を記録している。

解体が決まった中銀カプセルタワービルを撮影する人たち=東京都中央区で2022年4月8日、平田明浩撮影

 1972年の竣工から50年がたち、老朽化が進んでいた。黒川は当初、25年に1度、工場で生産したカプセルを現場で交換することで200年はビルを維持する考えを持っていたという。しかし結局、カプセルは一度も交換されることはなかった。

 2014年に当時の所有者らで設立した「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」の代表、前田達之さん(55)は「カプセルそれぞれにオーナーがいて、管理組合の多数決でしかものごとが決められなかった。一つだけ交換するということはできず、総取り換えの議論も進まなかった」と明かす。昨年3月、解体して敷地を売却することが決まった。

中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトの前田達之代表=東京都中央区で2022年5月6日、平林由梨撮影

 ビルは2棟からなり、エレベーターや階段が入る中央の塔に、140のカプセルがぶどうの房のように取り付けられている。室内の床面積は風呂場を除くと10平方メートルにも満たない。そこに作り付けの収納や折りたたみ式デスクなどが備え付けられている。週末のセカンドハウスや事務所として活用されてきた。

 ◇コミュニティーが自然発生するビル

 前田さんは多い時で15のカプセルのオーナーとなり、区分所有者として保存への働きかけを続けた。一時は、建築の文化的価値を評価したヨーロッパのデベロッパーが全戸を買い取り、カプセルを交換する計画も持ち上がったが、新型コロナウイルス禍で白紙になった。

解体前の中銀カプセルタワービルの一室。狭いカプセルの室内も、好みのインテリアでコーディネートすれば快適な空間に=前田達之さん提供

 「小学生の時に首都高から見えたこの建物はウルトラマンに出てくる基地のようで、その頃からいつか中に入りたいとずっと思っていました」と前田さんは振り返る。社会人になって勤務した広告代理店がたまたまこのビルに近く、09年の暮れ、近くの電柱に貼られていた「カプセル400万」の捨て看板に目が止まった。「普通の人であれば『カプセル』と言われても何のことか分からなかったでしょう。でも僕はピンときた。縁があったのだと思い、すぐに電話をかけ、衝動買いしました」

 ビルの誰かが電気コンロでカレーを作ればグループLINEの通知が鳴った。各部屋から皿に米だけよそった住人らが集まり、みんなでカレーライスを頬張った。飲み会も開いた。「コミュニティーが自然発生する建物。それが黒川さんが残したこのビルの、僕にとっての最大の魅力でした。寂しいです」。今はビルの真横に建つワンルームマンションに部屋を借り、解体を見守る。

 ◇予言の実現がもっと早ければ…

 カプセル建築を研究する工学院大建築学部の鈴木敏彦教授は、「カプセルは下から積み上げているため、一つだけ交換するのは物理的に難しかった」と説明した上で、「解体に至ったのは、黒川の予言の実現に50年かかったことが大きい」と語る。

解体が始まった中銀カプセルタワービル。手前を走るのは首都高速道路=東京都中央区で2022年5月6日、平林由梨撮影

 黒川は1969年、「ホモ・モーベンス―都市と人間の未来」(中央公論社)のなかで、社会の情報化が進むと、定まった職場や住居に縛られずに移動しながら仕事をしたり暮らしたりするホモ・モーベンス(動く人)が主役になると記した。そして、ホモ・モーベンスの住まいこそがカプセル建築だと宣言した。鈴木教授は「コロナ禍でテレワークやワーケーションが一気に進み、ようやく黒川が予言した社会に時代が追いついた。もっと早く、こうした社会が訪れていれば、ホモ・モーベンスの拠点の一つとしてカプセルの価値は高まり、改修・存続の可能性も現実味を帯びたでしょう」と話す。

 ◇国内外の美術館や博物館に寄贈

 6月下旬から、カプセルが塔から順次、取り外されていく予定だ。前田さんらの取り組みによって、カプセルは修復後、国内外の美術館や博物館に寄贈されることになっている。一部は、宿泊施設としての再利用も検討されている。老朽化が進んでいるため、うまく取り外せそうなカプセルは140のうち二十数個にとどまる見通しだが、すでに米ニューヨークの有名な美術館をはじめ、100件超の引き取りに関する問い合わせが寄せられているという。「住人たちが暮らした記憶も一緒に残せるよう、内装はなるべくそのままに修復を進めたい」と前田さんは話す。

解体前の中銀カプセルタワービルの一室。ベッドを置き、生活する人々もいた=前田達之さん提供

 鈴木教授は「これまでの名建築は惜しまれながらも壊され、忘れ去られていった。一方このビルは、解体後に建築の肝であるカプセルが世界中へ飛んでいこうとしている。それによって黒川のコンセプトが各地でまた芽生え、根付く可能性があるでしょう。解体は始まったが、こうした形で新陳代謝が実現しようとするのを見られるのは楽しみです」と期待する。

2022年5月15日 毎日新聞・ニュースサイト 掲載

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