インタビューに答える日比野克彦さん=東京都台東区で2022年1月11日

【東京芸大】King Gnuら輩出次期学長、日比野克彦氏の改革論

文:平林由梨(毎日新聞記者)

インタビュー

気鋭のアーティストとして知られる日比野克彦さん(63)が4月、東京芸大の第11代学長に就任する。20代で段ボールアートを世に問うなどして脚光を浴び、以降デザイン、広告、さらにはトーク番組の司会までこなし、若者文化をリードしてきた。一方、東京芸大といえば芸術系としては唯一の国立大という権威。日比野さんは、芸術家になることに対して社会が持っている「大変そうだね」という印象を変えたいそうだ。日比野流「改革論」に迫った。【平林由梨/学芸部】

 ◇大物を続々と輩出

 「最後の秘境 東京藝大」(二宮敦人、新潮文庫)という書物がある。最新の設備と豊かな緑に囲まれて、常識にとらわれず、己の道を存分に究める芸大生の姿をルポした一冊だ。

二宮敦人さんによる「最後の秘境 東京藝大」(新潮社)

 そもそも東京芸大はどんな大学なのだろう。メインのキャンパスは東京・上野。上野駅から10分ほど歩くと、上野公園に隣接してキャンパスが広がる。駅を背に、道を挟んで左が美術学部、右が音楽学部だ。歴史をさかのぼると、1879年に文部省に設置された「音楽取調掛(とりしらべかかり)」と、その6年後に設置された「図画取調掛」にいきつく。両取調掛は後に東京音楽学校と東京美術学校に改称される。1949年、両校が一つになって東京芸大が誕生した。

 国内随一の歴史を誇るだけあり、横山大観、滝廉太郎、岡本太郎、藤田嗣治……教科書でおなじみの芸術家を多数輩出してきた。最近では、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションなどで知られる美術家、村上隆さんや、全米映画批評家協会賞作品賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督も芸大で学んだ。人気バンド、King Gnu(キングヌー)のメンバーが音楽学部に在籍していたことも話題になった。

 日比野さんはこの「秘境」をどう改革しようというのか。

 ◇「地域と関わるアート」の意味

 日比野さんは82年、東京芸大の美術学部デザイン科を卒業。野球のグラブやスタジアムジャンパー、グランドピアノなど、身の回りのものを段ボールで造形し、80年代の空気感を表す作品で在学中から若い世代の支持を集めた。コピーライターの糸井重里さん、落語家の笑福亭鶴瓶さんら、当代の人気者が起用されたNHKの若者向け番組「YOU」の司会者にも抜てきされた。

 母校のデザイン科に助教授として迎えられたのは95年。「学生を現場に連れ出してほしい」という依頼だったといい、「嫌になったら辞めればいい」と思って引き受けたそうだ。この95年は1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件が起きている。「これまで信じられてきた安全神話や学歴偏重の常識がぐらぐらと揺らぎ、21世紀に対する期待と不安が入り交じる潮目の年でした」。それとともにウィンドウズ95が売り出されたのもこの年。インターネットが普及し始め、日比野さんは社会の有り様やコミュニケーションの仕組みの変化に関心を向け始める。

東京芸大学長に就任する日比野克彦さん=東京都台東区の同大で2022年1月11日

 2000年ごろから、芸術祭が全国各地で開かれるようになる。棚田や古民家に作品を展示し、地域住民と交流を図るアーティスト活動も広がり始めた。

 「アートの様子が変わり始めた」と感じ、大学院生と共に茨城県守谷市で新しいアートの試み「ヒビノホスピタル」を手がける。参加者の悩みを聞き、一緒に制作活動に取り組むプロジェクトだ。活動の場が美術館から地域へ、アトリエから社会へと開かれていく時代。そんな潮流の中心的存在だった。

 「人との交流というアートの新たな役割に挑戦できたのは研究室を持ち、学生と共に取り組めたから。一人じゃできなかった」。「嫌になったら辞めればいい」と割り切って就いたはずの芸大の教員に軸足を置くことを決意し、先端芸術表現科教授を経て2016年、美術学部長に就任した。就任後も、大学の外に出て活動を続ける。03年の「大地の芸術祭」から取り組む、アサガオの育成を通して人々と地域の関係を育む「明後日朝顔プロジェクト」は21年度、兵庫県姫路市で大規模に展開し、話題になった。

 洋画や日本画など伝統芸術に打ち込んできた大御所を「ど真ん中」だとすれば、日比野さんは「サイド」を歩んできたように映る。「異色の学長に期待されているのは何だと思いますか」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「知人から『うちの子、今度美大を受けるの!』って聞かされたとします。今の社会、それに対して、拍手と共に『それは素晴らしい!』という反応がどれくらい返ってくると思います?」

 答えに窮しているとそれを見透かしたかのように、日比野さんは続けた。

 「『大変そうだね』というのがきっと、社会の大多数の印象ではないでしょうか。そこを大きく変えたいんです。『いいぞ、それは素晴らしい。芸術に携わることは社会で役に立つことなんだ』と応援してもらえるような社会に、大学に、変革していく。それが私が果たすべき役割です」

 芸術とは、どこか浮世離れした存在であるのが許されてきた領域だろう。だが、これからはその姿を変えていくと語る。

 「芸術をポピュラーにしたいわけではないんです。ただ今までは、アートのメッセージといえば『作品を見た人が感動してくれました』で終わっているような気がするのです。これからは、感動した、感動させた、その先をフォローする。世の中にはどんな社会的課題があり、それに対し、アートはどんな解決の糸口を提示できるのか。アートと社会を接続し、発信する役割を大学が担っていく」

 ◇「危機感」とは

 「企業・団体が積極的に仲間に入れたくなる、雇用したくなる、そんな芸大生を育成することもミッションです」と日比野さんは続けた。21年3月に卒業した美術学部生219人のうち「未定・他」が30人。「進学」は124人で、「未定」と「進学」が7割を占めた。音楽学部もほぼ同じ傾向だ。アーティストとして独り立ちを目指す学生が多いのだろう。芸大では、就職して社会へ出る学生の方が少数派だ。

東京芸大学長に就任する日比野克彦さん=東京都台東区の同大で2022年1月11日

 「企業の社会貢献がいつになく求められている時代です。アーティストをメンバーにしたらその使命がクリアできた。さらに飛躍もできた。そう言われるような人材をきちんと育成し、就職支援もする。それは芸大のステークホルダー(利害関係者)や、応援してくれる企業を増やすことにもつながります」

 発言からは強い危機感が伝わってくる。大学を維持し、発展させるための資金の確保も大きな使命なのだろう。現在、国立大は独立行政法人化に伴って財務基盤強化という課題を抱えているが、東京芸大でも人ごとではない。

 「東京芸大の前身が誕生した100年前の時代と世の中はずいぶん変わりました。これまで継承してきたことにとらわれず、アートの役割を変えていかなくてはならない。6年の任期をかけて、次の100年の、新たな芸術のイメージを作り、芸大に関わるみんなと共有していきたい」

PROFILE:

ひびの・かつひこ

 1958年、岐阜市生まれ。84年、東京芸大大学院修了。95年にはベネチア・ビエンナーレ国際美術展に参加。99年、毎日デザイン賞受賞。2014年からは障害の有無を超えた交流を図る芸術活動「TURN」を監修。岐阜県美術館館長。サッカーファンとしても有名で、日本サッカー協会社会貢献委の委員長も務める。

2021年12月12日 毎日新聞・ニュースサイト 掲載

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