十二月花鳥和歌 近衞家煕筆1幅彩箋墨書33・2㌢×570・2㌢ 江戸時代18世紀文化庁蔵(皇居三の丸尚蔵館収蔵)

【書の楽しみ】
鍛錬がなした近衞家煕の美意識

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・皇居三の丸尚蔵館長)

 筆者の近衞家煕(1667~1736年)は江戸時代中期の元禄のころに活躍した公卿(くぎょう)である。近衞家は五摂家の筆頭であり、家煕も関白・摂政を歴任し、太政大臣も務めた近衞家第21代の当主である。有職故実(ゆうそくこじつ)や和歌に加えて茶の湯など諸芸に秀でていた。近衞家の歴代は能書の当主が多く、ことに17代の信尹(のぶただ)は三藐院(さんみゃくいん)流(近衞流)の祖として知られ、父基煕も和様の能書であった。家煕は近衞家に伝存した平安時代の名筆などの目習い、手習いを重ねた結果、当代屈指の能書となった。ほかにも中国書法や漢籍、中国の文物にも造詣が深かったことでも知られている。

 これは、上部に竜の文様を帯状に刷りだし、金泥で霞引(かすみび)きした料紙に、「鹿鳴草(しかなぐさ)/秋たけぬいかなる色と 吹/かぜに やがてうつろふ もと/あらのはぎ/初雁(はつかり)/ながめつゝ あきの半(なかば)も すぎ/のとに まつほど/しるき はつ雁のこゑ」を書写した部分である。これは、鎌倉時代の歌人として著名な藤原定家の自撰(じせん)歌集である『拾遺愚草』に所収される「十二月花和歌」と「十二月鳥和歌」から、正月から月ごとに揮毫(きごう)した巻物である。図版の部分は8月の部分の写真である。「鹿鳴草」は萩(はぎ)の異名である。現在の8月は梅雨明けの猛暑真っ盛りであるが、旧暦ではほぼ1カ月ずれているので、萩や初雁が葉月(はづき)、すなわち8月として詠まれている。

 家煕は楷書や行書、草書はもとより、篆書(てんしょ)や隷書も揮毫しており、多様な書風を展開することができた人物である。この作品は、格調の高さというか、品の良さにかけて特筆される。家煕は忙しい宮廷行事の余暇を割いて、平安時代の実に多くの三筆や三跡の作品や古筆を目習いするだけでなく、模写や臨書を繰り返している。その鍛錬が結実したものと言えよう。

 この1巻は、皇居三の丸尚蔵館の「いきもの賞玩」に、生き物を表現した工芸品や絵画とともに、9月1日まで展示されている。江戸時代を代表する和様の書である。優美で流麗な作品である。こうした家煕の書の筆の動きや遅速を感じながら目習いして、追体験してはいかがでしょうか。江戸時代を代表する能書の美意識を追いかけることで、当時の時代の感覚を把握できるかもしれません。

 令和の書は古典を再現することを求めているわけではなく、現代の時代感が必要である。現代の書は個性尊重のもと、荒々しいタッチが好まれる風潮がある。もちろん作品によっては、大胆さや迫力ある筆線は見応えがあるが、ややもすると格調美に欠ける。古代から各時代の時代感を理解することが望まれるが、まず、この江戸の時代感を把握できれば、自作の品の良さにも繫(つな)がる。作品を書かない人にも、こうした書の鑑賞は、時代ごとの感覚を理解する上で貴重な積み重ねとなるでしょう。

2024年8月18日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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