3月上旬、スマホのグループチャットに1枚の写真が送られてきた。雲ひとつない穏やかな空に、鈍く濁った煙が上がっている。写っているのはイラン中部イスファハンにあるユネスコの世界遺産、イマーム広場で、シェアの主は国際博物館会議(ICOM)で共に活動する同国の博物館職員だった。
ICOMには現在、およそ140の国と地域から6万人を超える専門家が参加し、専門分野別の国際委員会などが組織されているが、その設立は1946年、つまり第二次世界大戦の直後に遡(さかのぼ)る。戦禍によって文化遺産が破壊された経験を反省し、人類すべての多様な遺産を守る責任を自覚した博物館人たちが、国家の隔たりを越えて立ち上がったのである。日本は51年に組織し、翌年加盟した。
近年、際だって議論される脱植民地化という課題も、その責任のひとつだ。こう書くと、西欧諸国が植民地から奪ってきた作品や資料を、それが元あった場所に返すことを想像するかもしれない。しかし物理的な資料の収奪よりもっと根深いのは、植民地性とも言うべき思考の権力構造である。特に美術という領域にはその責任が重くのしかかっていることを、私が活動する国際委員会ICFAでは重く捉えている。
委員会名にある「FA」とはfine arts、すなわち「美術」の頭文字だ。本連載は「ART!」と名付けられているが、そこにfineがつくと、本来的には絵画や彫刻といったいわゆる西洋の美術カテゴリーに当てはまる領域を指すことになる。あるいは20世紀以降のモダンアートは「どこまでが美術か」という問いの繰り返しによって拡張してきたが、言い換えれば「美術ではない」とされてきた外部と、それを取り込む中心軸としてのfine artsという「まなざしのヒエラルキー」を土台にしてきたのである。この関係が特に別の文化圏との対照になると、馴染(なじ)みのない地域については易々(やすやす)と周縁化し、民族学的視点で扱われてしまう。より率直に言えば、文明と未開、理性と野蛮の線引きであり、格差構造にも結びついている。
そして日本の学校教育も、この力の勾配に少なからず与(くみ)してきた。というのも中学高校の美術の教科書には必ず年表が載っていて、そこでは西洋と日本の美術作品が並列されている。近年はアジアという観点も盛り込まれつつあるものの限定的で、学習指導要領では「諸外国」とあるものが、教科書ではもっぱら「西洋」に落とし込まれるのである。このことは日本の近代化が、植民地化を逃れるために率先して手を伸ばした欧化であったこと、また美術という概念自体がそのために不可欠だったこととも切り離すことができない。こうした非対称な語りの構造が、私たちの美術概念とその学びに内面化されていることは、今あらためて自覚すべきだろう。
その証拠に、アフリカやイスラーム、あるいはアジア諸国から見た美術の世界を、私たちはどれくらい知っているだろうか。少なくとも私は、イランから送られてきたこの1枚の写真に、一体どのような人々の営みが編み込まれているのか、いまだ十分には知らない。だからこそ知りたいと思う。異なる文化圏に生まれた造形が、本当の意味で互いに尊重されるようになったとき、世界がどれほど多様で色鮮やかなものとしてこの目に映るのか、それを私は見てみたいのだ。
2026年4月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載