元興寺に伝わる紙製地蔵菩薩立像(おかみさん地蔵)。振り返るような独特の姿勢が特徴で、同寺法輪館で常設展示されている=奈良市で花澤茂人撮影

 仏像といえば木像や金銅像が多いが、これまであまり注目されていなかった「紙」で造られた像について元興寺文化財研究所(奈良市)が研究を進めている。もろくて残りづらいため現存例は少ないと思われていたが、調査の過程で多くの事例を確認。庶民の信仰を伝える文化財として見直されるきっかけとなりそうだ。

 同研究所では今秋、民俗文化財をテーマに特別展を開催。その際、元興寺に伝わる1体の紙製地蔵菩薩(ぼさつ)立像に改めて注目した。粘土の型に紙を張り重ねて成形し、その後粘土を取り除いて造られたとみられ、首を左に向け、振り返るような独特の姿勢が特徴。戦後間もないころに当時の住職が入手したとされ、2000年ごろからの修理と調査で像内から17~18世紀の寺社のお札や経典が見つかった。女性の信仰を集めた「血盆経(けつぼんきょう)」が数点あったことから女性にまつわる像と考えられ、「おかみさん地蔵」と呼ばれている。

 「この像を含め、先行研究で把握されていた紙製の仏像は10例ほどだった」と調査を担当した同研究所の服部光真・主任研究員は振り返る。「ところが、資料を丁寧に調べると伝承も含めおよそ70例が見つかったのです」

 紙の仏像の歴史は中世にさかのぼる。中宮寺(奈良県斑鳩町)に伝わる重要文化財の文殊菩薩立像は13世紀の造立。ただこれは「突出した例」で、広がりを見せるのは江戸時代。「中国から張り子の技法がもたらされ、17世紀に各地で工芸品として広がったことが背景にある」。そのため古い資料では「紙」ではなく「張子(はりこ)」や「張貫(はりぬき)」と書かれていることが多い。「脱活乾漆像なども『張子』と記されることがあり、これまで整理されていなかった」と服部さんは説明する。

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 なぜ「紙」なのか。比較的軽量かつ安価というだけでなく、宗教的な意味もあったようだ。

 キーパーソンの一人は後水尾天皇だという。17世紀半ば、先に亡くなった息子の後光明天皇の追善供養のため、残された直筆の手紙などを使って造られたとされる仏像が数点現存し、兵庫県尼崎市では市指定文化財になっている。「亡き人の手紙を用い、写経したり仏像の印を押したりして供養する発想は平安時代からある」といい、「これらの像が関係寺院に奉納されて広がったことが先例になったのでは」と推測する。

 また浄土宗の祖である法然上人の像が多いことも注目される。「鎌倉時代の法然の絵伝には、配流される舟の中で弟子が法然の像を『はった』という記載がある。おそらく張り子像を造ったという意味だろう」と服部さん。西山浄土宗の総本山・光明寺(京都府長岡京市)には「張り子の御影」と呼ばれる法然の像があり、こちらにも「舟の中で法然自らが母からの手紙を使って造った」という似た伝承がある。「こうした説話が広がり、17世紀半ば以降に浄土宗系寺院で紙の像が増えていった」と分析する。「おかみさん地蔵」や法然の母のように、女性との関わりの深さも浮かぶ。

 「日常にありふれているものはあえて大事にされづらい。紙の仏像も、特別な伝承を持つものが残された一方で消えていったものも多くあったのでは」と服部さんはみる。「美術的に格が低いと見なされがちだが、日常の中の信仰を知る上で重要。製作技法などまだ解明すべき課題も多い」と意気込んでいる。

「おかみさん地蔵」の像内に納められていた寺社のお札や経典について説明する元興寺文化財研究所の服部光真さん=奈良市で花澤茂人撮影

2025年12月18日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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