富山妙子のリトグラフ=詩画集『声よ消された声よチリに』より(提供写真)

 2026年はアメリカによるベネズエラへの奇襲とマドゥロ大統領夫妻の拉致という信じがたい暴挙で幕を開けた。さらにグリーンランド領有という植民地主義への欲望すら隠さないトランプ米大統領の蛮行に言葉を失い、もし富山(とみやま)妙子が存命なら何と言って憤っただろうか?と考えた。

 画家・富山との出会いは2010年に遡(さかのぼ)る。『増補 光州事件で読む現代韓国』(平凡社)の表紙デザインに作品提供を依頼したのが始まりだった。私が韓国の民主化運動について学んできたという一点だけで、無条件に厚い信頼の情を示してくれた。富山作品の基調をなすのが植民地主義に対する抵抗の思想であり、その根源に光州の闘いを位置づけていたからである。1980年代以降、朝鮮人強制連行や「慰安婦」などを画題に、日本の戦争責任を問う作品を次々と発表してきた富山にとって、日本の植民地責任は45年の敗戦で終わったのではなく、今もなお形を変えて引き継がれている。

 富山といえば、日韓では「光州のピエタ」に代表される光州民主化運動(80年5月)を描いた版画シリーズで知られる。そこで彼女は光州に惨禍をもたらした背景として、日米同盟を軸とする新たな植民地主義の構図を鋭くえぐった。80年の光州をとりまく構図は、近代日本の植民地主義に由来し、同時に現在の新植民地主義に依拠した世界構造にも通ずる。彼女の画業を貫くこのような歴史認識は、60年代のラテンアメリカへの旅を通して培われたものだ。

 50年代、戦後日本の社会構造の歪(ゆが)みが投影された場として炭鉱を描きはじめた富山は、やがて三池闘争の敗北と石炭不況による閉山が相次ぐ中、61年秋にブラジルへ渡る炭鉱離職者たちを追って、神戸港から移民船に乗り込む。約1年にわたる旅の途上でチリを訪れ、銅山地帯を旅しながら、反ファシズムの旗を掲げたパブロ・ネルーダの詩を愛読したという。

 ラテンアメリカの国々を巡る中で目にしたのは、アメリカ覇権主義による植民化状況におかれ、抑圧と貧困にあえぐ第三世界の民衆の姿だった。メキシコの壁画運動やキューバの版画運動など、西洋画とは一線を画した対抗文化としての芸術運動に刮目(かつもく)した富山は、後に『解放の美学』(79年)という著作を通じ、80年代の韓国民衆美術に多大な影響を及ぼした。一方、そこに旧満州(現中国東北部)ですごした「植民者の子」としての経験を重ね合わせ、その意味を世界史の文脈の中で再解釈するようになる。

 73年、社会主義者のアジェンデ大統領が米中央情報局(CIA)に繰られたピノチェトらの軍事クーデターで死に追いやられ、その12日後に後を追うようにネルーダが病没すると、富山はすぐさま『声よ消された声よチリに』という詩画集を出版し、「キムジハとネルーダに」と題した個展を開いた。

 冷戦構造の同時代に生きた金芝河(キムジハ)とネルーダは韓国とチリで、それぞれ反共親米の軍事独裁によって弾圧された。国家暴力に虐げられた民衆を代弁し、奮い立たせる言葉を紡いだ詩人たちの受難。この2人を個展のテーマとすることで、富山はアメリカを首班とした植民地主義の普遍性を描こうとしたのだった。アメリカが資源奪取の草刈り場として、「裏庭」と称したラテンアメリカの国々に行った軍事介入は、チリに限るものではない。62年のキューバ危機をはじめ、70年代のアルゼンチン・クーデター、80年代のグレナダとパナマへの侵攻、00年代に入ってからもハイチとホンジュラスでクーデターが引き起こされた。ベネズエラ侵攻はその延長線上にあり、何も事新しき事態ではない。

 詩画集の出版も個展の開催も「ほんの一部の人に訴えただけで、まったく人目にとまらぬもの」であり、高度経済成長を謳歌(おうか)する日本では、「軍事政権下の芸術家たちのことには、無関心だった」と、富山は述懐している。ネルーダの死から半世紀余り、植民地主義の暴力がガザやベネズエラで繰り返される今、私たち自身が問われている。

 ◇作品と生き方、再評価

富山妙子さん=提供写真

 昨年末、富山妙子=写真=の生涯を追った初の網羅的論考集『越境のアーティスト富山妙子』(皓星(こうせい)社)が刊行され、真鍋祐子さんが監修を務めた。富山は少女時代を旧満州で過ごし、戦後は日本の戦争責任への自覚を契機に、ポストコロニアル批判とフェミニズムの思想に立った作品群を発表し続けた。分断が深まる現代、その生き方が見直されており、24年の横浜トリエンナーレにも出展されるなど再評価が進む。

 ■人物略歴
 ◇真鍋祐子(まなべ・ゆうこ)氏
 専門は朝鮮研究。博士(社会学)。韓国でのシャーマニズム研究をきっかけに、韓国民主化運動を巡る歴史的動態を「死者」の視点から捉える研究に取り組んできた。

2026年2月2日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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