仏堂のような空間となった特別展「空海KUKAI-密教のルーツとマンダラ世界」の展示室=奈良市の奈良国立博物館で

 歴史上のお坊さんで、弘法大師・空海(774~835年)ほど人々に親しまれている人は少ないだろう。その生誕1250年を記念して奈良国立博物館で開催中の特別展「空海 KUKAI-密教のルーツとマンダラ世界」は、空海が生涯をかけて人々に伝えようとした「密教」の世界に迫るとともに、生身の人間としての空海を浮き彫りにする。

 展示室に足を踏み入れると、寺院のお堂のような景色が広がる。空間を仕切る壁がすべて取り払われ、柱も仏堂の朱色の丸柱のように装飾されている。中央に並ぶ5体の仏像は、京都・安祥寺の「五智如来坐像(ざぞう)」(国宝)。大日如来を中心に、残りの4体がその周囲に四方を向いて座る。展示室の奥には、大阪・久修園院(くしゅうおんいん)に伝わる縦約4・8㍍、横約4㍍という一対の巨大な「両界曼荼羅(まんだら)」が掲げられ、その前には密教の儀式で使われる奈良・室生寺の「両部大壇具(だいだんぐ)」(重要文化財)が置かれる。

 「空海はその著作の中で、密教の教えは深遠なものであり言葉だけでは伝えきれない、と記しています」。展覧会を担当した同館の斎木涼子・列品室長は語る。その理解を助けるために作られたのが曼荼羅などの仏画や仏像だった。さらに展示室の左右の壁には、不動明王などの明王を描いた京都・醍醐寺の「五大尊像」(国宝)などの仏画が掲げられる。展示品を一つ一つ見せること以上に、密教空間を作り出そうとした博物館の意図が感じられる。

 空海は延暦23(804)年に遣唐使の一員として唐に渡り、密教の高僧・恵果阿闍梨(けいかあじゃり)と運命的な出会いを果たす。わずか3カ月という短期間ですべての教えを伝授され、帰国する。続く展示では、この際に空海が唐から持ち帰った文物が並ぶ。

 京都・仁和寺の「三十帖(じょう)冊子」(国宝)は、空海が唐で経典などを書き写したもの。しかし直筆とされる「第二十七帖」は、「書の達人」らしからぬ雰囲気も。「文字の大きさも不ぞろいで、斜めになっている行もある。少しでも多くを持ち帰ろうと、限られた時間の中で夢中で書き写した若き空海の姿が思い浮かぶ」と斎木さんは語る。

 また空海自身が制作に関わったとされる京都・神護寺の「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」(国宝)は本展の目玉の一つ。一対のうち後期では「金剛界」を展示する。2016年度から21年度にかけて修理が施され、美しくよみがえった仏たちの姿を見ることができる。

 没後1200年近くたった今も人々に信仰され、愛される理由は何か。斎木さんは、空海が「人と人の直接的なつながりを大事にしたからではないか」とみる。デジタル技術で世界のどこでもつながれる時代だからこそ、そのメッセージに耳を傾けたい。6月9日まで。月曜休館。

2024年5月29日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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