五言律詩(草書七言古詩・五言律詩の内) 1幅 貫名菘翁筆 彩箋墨書 164・0㌢×75・8㌢ 江戸時代・安政5(1858)年 皇居三の丸尚蔵館蔵

【書の楽しみ】
調和する唐様と和様

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長、皇居三の丸尚蔵館長)

 江戸時代末期の能書として、江戸で活躍していた市河米庵と巻菱湖に上方で活躍していた貫名菘翁(1778~1863年)を加えた3人を〝幕末の三筆〟と呼んでいる。いずれも、中国風の書である唐様の能書で、明治期以降にも大きな影響を与えた。

 菘翁は阿波藩の家臣で弓術指南を務めた吉井直好の次男。書を西宣行に、並行して母方の叔父である矢野典博に絵を学んだ。彼は高野山で学んだ後に大坂の懐徳堂に入門し塾頭も務めている。34歳の時に京都で須静堂を開いて儒学を教えた。現在、書家・画家として著名な菘翁であるが、幕末に編纂へんさんされた「平安人物志」では儒者・詩人と注記されるように、儒学に加えて詩もくした。

 書では、彼の数多くの臨書作品から、中国の東晋に活躍した王羲之の文字を唐時代の僧である懐仁が集めて『聖教序』を編集した「集字聖教序」、あるいは唐時代の孫過庭の書論である「書譜」、「円珍関係文書」にある円珍の中国での旅行を許可する鄭審則の書などの中国書法を手本として学んだことが知られる。また、注目すべきは、空海をはじめとする平安時代の日本の名筆をも学んでおり、唐様の書に和様をも加味した独自の書風を確立した。

 この五言律詩は、薄い朱色というか、ピンクに鮮やかに染め上げた絹本に、金泥と銀泥を駆使して天空を右に左に、そして上に下にと、さまざまに飛び交う竜を巧みに表現した上に、「種豆南山下 草盛豆苗稀/晨興理荒穢 帯月荷鋤帰/道狭草木長 夕露沾我衣 々霑/不足惜 但使願無違/戊午之榴夏 菘翁苞(しげる)書」の漢詩を揮毫きごうしたものである。『古文真宝』前集巻一・五言古詩短編にも所収される陶淵明の詩である。

 「戊午」の款記から、安政5(1858)年5月の書で、数え年81歳の菘翁、晩年の筆跡と知られる。絹本の揮毫では、筆をとられて執筆が困難であるが、潤滑・肥痩ひそうを強調し、充実した筆力と文字の構築美は見事である。書画を能くし、漢詩にも造詣が深い菘翁が、あえて中国の古詩を揮毫していることに注目したい。

 対幅のもう1幅も、杜甫の詩集である『杜少陵詩集』巻第二に所収する「曲江三章」の3番目の詩である。漢詩が詠める人は往々にして自作を揮毫したくなるが、ここで著名な詩人の作品を選んでいる。ここに、良い作品を残そうとした菘翁の意思がしのばれる。細部に目を向けると、2行目の「興」の字にみえる1文字の中での太細と筆の遅速の変化の妙には感心させられる。また、4行目の2字目「足」のうねるようにはね上げた最終画は、彼が私淑した一人である空海の飛白体の影響が見られる。このほかにも、学んだ多くの書から手中にした造形美や筆法を展開している。文字と文字をつなげる連綿も、冒頭の3字を例外にして2字にとどめている。また、2行目のやや傾けて書いた「月」や3行目の「夕」などの行書気味な字形を加えることによっても余白が生きており、文字の造形美が緊張感をもって鑑賞できる。

2025年8月18日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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