永山祐子さん=小松やしほ撮影

 大阪・関西万博のウーマンズパビリオンにパナソニックグループパビリオン「ノモの国」、松坂屋名古屋店、東急歌舞伎町タワー……手がけたプロジェクト(作品)は100を超え、進行中の案件も30以上。事務所に20人のスタッフを抱える永山祐子さん(49)を「気鋭の建築家」と呼ぶのは、いささか失礼かもしれない。

 思わずそう漏らしたら、明るく笑い飛ばされた。「ベテランという気持ちは全然ないですね。関わるプロジェクトは、アクセサリーや家具のデザインといった小さなものから大きな建築まで多岐にわたります。初めての分野であれば、まずは初心に返って取り組むので、建築の仕事は生涯の先生のようなもの。気持ちはいつも初心者です」

 東京都生まれ。高校では理系クラスに所属し、漠然と生物学関連の道に進もうと考えていた。高3のある日、帰り道にバスを待つ間、進路の話になった。友人が「建築の方向に進む」と話した時、ふと祖父を思い出した。東京工業大名誉教授の建築家、谷口吉郎の門下だったという。「戦後すぐ若くして病死したので、道半ばではあるのですが」。将来は建築家。バスに乗っている約15分の間に心を決めた。

 昭和女子大卒業後は青木淳建築計画事務所へ。4年勤務し、26歳で独立した。「青木事務所には4年で独立という制度があってみんな出て行くんです」。不安はさほど感じなかった。「事務所に入ってすぐ、小さいけれど住宅の案件を任されて全うできたことと、次に、構造的にも難しい豪邸の案件を1人でやり切ったことが自信になった。何とかなると思えたんですね。出てから甘かったと思いましたけど」

 今年5月、初の作品集『建築から物語を紡ぐ』を刊行した。全114作品から、記念碑的な45作品を選んだ。「作品を数えてもいなかったので、改めて数えてみると、そんなにつくったのかと。建築は頓挫するものも多く、この3倍はやっているとすると、24年で300。結構やってきたなあと、しみじみします」

 プライベートでは13歳と11歳の子を持つ母だ。独立して24年という一見、中途半端な年での初作品集出版に「目の前の仕事と子育てに必死で、それ以外のことに時間を割ける余裕がなかった」と話す。

 妊娠、出産時も、建築について考えることをやめてしまうと、筋トレと同じで提案力が衰えてしまう気がして、必死で続けてきた。子どもと接する時以外は常に考えている。「子どもをお風呂に入れていた時も、思わず考え事をして、何度も頭を洗っていたことに気づいてハッとして反省しました」

 子どもたちには寂しい思いをさせているとは思う。だが、今や母の体調を気遣ってくれるまでに成長した。「子どもが生まれた時、いつか仕事をやめなければならない日が来るかもしれないと思いました。だから、一日でも長くこの仕事を続けたいというのが夢ですね」。8月には自叙伝『建築というきっかけ』も出版予定だ。

2025年7月15日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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