1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の跡地を訪れた。ここは翌年から海洋博公園として公開されており、いくつかのレガシー(遺産)が残っている。
ゲート広場近くの政府出展の海洋文化館は、タヒチのダブルカヌーなど、当時収集した大型の展示資料などを紹介する現役の施設であり、当時とその後の歩みを振り返る50周年記念事業企画展も18日から開催される。
目玉だった海上建築のアクアポリス(設計は菊竹清訓)は93年まで、沖縄館は96年まで、記念水族館(設計は槇文彦)は沖縄美ら海水族館が登場する2002年まで使われていたが、現存しない。なお、コンクリートのアーチを反復する記念水族館のアーケードは、一部を再生し、休憩所として使っている。

また夕陽の広場には、アクアポリスの形態を意識した子供の遊戯施設、アクアタウンがつくられた。イルカショーを行うオキちゃん劇場は10年頃まで使われ、類似した形態で新築された。そしてエメラルドビーチは博覧会のときに整備されたものである。海洋博のときの看板が残る箇所も確認した。博覧会の後に登場したものとしては、熱帯ドリームセンターやおきなわ郷土村が挙げられる。
70年の大阪万博は、再オープンした太陽の塔や鉄鋼館(現在はエキスポの記念館として使用)は現存するが、大屋根は78年まで、エキスポタワーは03年まで残り、美術館は04年まで使われた。万博記念公園に変わっても、すぐにすべての施設が解体されたわけではない。
歴史を振り返ると、19世紀後半から20世紀前半に繰り返したパリ万博は、エッフェル塔、グラン・パレ、パレ・ド・トーキョー、アレクサンドル3世橋など、セーヌ川沿いに多くのレガシーを残し、24年オリンピックの開会式の背景にも使われている。近年の上海万博は旧中国館を含む、複数の巨大な建築、ドバイ万博は跡地が新都市に生まれ変わるべく多くの施設とインフラを残した。
海外の事例に比べると、日本の博覧会は、レガシーが少ないように思われる。さて、25年の大阪・関西万博は、会期後に何をレガシーとするのか。サステナブルの時代において半年のイベントのためのスクラップ・アンド・ビルドにするのではなく、将来のビジョンを考慮しながら、計画してほしい。
2025年7月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載