ベニヤ板の屛風(びょうぶ)に細かい文字がびっしりと書かれた「夢幻記」(79年、個人蔵)の展示風景。奥に見えるのが「心」(85年、個人蔵)=小松やしほ撮影

 うねる墨跡、ほとばしる激情。前衛書家として知られる井上有一(1916~85年)の没後40年を記念した展覧会「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン 1970s-1980s」が、東京・渋谷区立松濤美術館で開催中だ。一般的な回顧展とは趣向を変え、70~80年代に焦点を当て、井上の書とグラフィックデザインの関係をひもとく。

 井上の「2度目のデビュー」ともいえる大きな転機が、71年に出版された初の作品集『花の書帖(しょじょう)』だ。その表紙のどこにも書はない。あるのは花のオブジェの写真のみだ。書の作品集としては「異例」ともいえるこの本の装丁を手がけたのは、福田繁雄(32~2009年)。64年東京五輪や70年大阪万博にも関わった日本を代表するグラフィックデザイナーだ。

 『花の書帖』は、井上とグラフィックデザインが結び付いた最初の作品であり、欧米の抽象絵画ブームを背景として注目されていた井上の書のイメージを塗り替えた。

 以降、井上は活動の軸足を国内に移すが、その名を世間に知らしめたのは、没後の86年に開催された「生きている井上有一」展だという。参加したのは、浅葉克己さん、井上嗣也さん、糸井重里さん、仲畑貴志さんといった、西武百貨店やパルコを中心とした「セゾン文化」をけん引したグラフィックデザイナーやコピーライターたちだ。

 パルコの広告(86、87年)が象徴するように、グラフィックデザインは井上の書いた文字を擬人化し、人格を持っているかのような印象を与えた。同時に井上自身も、担当学芸員の木原天彦さんいわく「堂々とわが道をまっすぐ歩く理想的な個人としてとらえ直され」伝説化していった。数々の作品やポスターは、その様をしっかりと伝える。

 本展は戦争をもう一つのテーマに据えている。グラフィックとの関係という文脈からはそれるが、戦後80年の年であり、井上の創作の原点に、東京大空襲があるからだ。

 教師でもあった井上は、45年3月9日深夜から10日未明、当時勤めていた本所区(現在の墨田区)の横川国民学校で空襲に遭い、一時仮死状態になった。周囲の介抱で奇跡的に息を吹き返したが、同僚や受け持っていた児童ら多くが亡くなった。

 この悲惨な経験をもとに書かれたのが「噫(ああ)横川国民学校」(78年)だ。<アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄……>。大画面いっぱいに、心の叫びをそのまま書き殴ったような字が並ぶ。ところどころ塗りつぶした筆跡が、苛烈な空襲の情景と、井上の激情を想起させる。

東京大空襲の経験を書にした「噫横川国民学校」(1978年、群馬県立近代美術館蔵)=小松やしほ撮影

 井上は晩年、一字書から離れ、細かく文章を書きつける多文字書を手がけた。それは「病による体力の衰えを逆手に取った積極的なシフトチェンジ」と木原さんはみる。「夢幻記」(79年)には、記憶を掘り起こし、留め置こうとしているかのごとく、幼少期の思い出がびっしりと細かい字で書きつけられている。そして渾身(こんしん)の一文字「心」(85年)。ただまっすぐに書を追求してきたかに見える井上の人生だが、グラフィックデザインと照らし合わせると、日本の戦後の社会との関係が見えてくる。11月3日まで。

2025年9月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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