東京・新宿のSOMPO美術館が開館50周年を迎え、今年は記念の企画展が次々と開催されるという。その第1弾は、同美術館の足元、新宿をテーマにした絵画展(「モダンアートの街・新宿」展、15日まで)である。
表現の場としての<新宿>といえば、盛り場、雑踏、前衛などのイメージとともに、森山大道の写真や、唐十郎のアングラ劇、はたまた歌舞伎町を舞台とした映画の数々などを思い浮かべる読者も多いだろう。この展覧会はそうした「現代性」からあえて一歩引いて、1910年代から60年代までを射程にし、とりわけ油彩画を中心とする優品を全国から丁寧に集めて紹介しており、改めてじっくり鑑賞できる。
キーパーソンは中村彝(つね)(1887~1924年)、佐伯祐三(1898~1928年)、松本竣介(1912~48年)、阿部展也(のぶや)(1913~71年)である。彼らは共に、新宿近辺にアトリエを持ち、他の画家たちとネットワークを築き、それぞれの手法で新しい絵画表現を目指した。
比較文学者の故・芳賀徹氏はかつて『絵のなかの東京』(93年)という本の中で、絵画における東京表現について探っていくと(浮世絵の伝統と革新を併せ持つ)創作版画家たちの仕事が旺盛で、意外にも洋画家たちの東京風景が少ないことを指摘した。芳賀氏は「ヨーロッパに比べ湿潤で、重厚感に乏しい東京に油彩画がふさわしくない」という「説」がささやかれたことに異議を唱え、大正期以降の若い前衛画家たち--岸田劉生、佐伯、長谷川利行、松本たちがいかに生き生きと東京風景に取り組んだのかを力説した。
今回SOMPO美術館が展開した展覧会は図らずも、まさにその若い画力を<新宿>というトポス(場)に絞り込んで見事に再検証した成果だといえる。
例えば、新宿駅構内の群衆を大画面で描いた木村荘八(1893~1958年)の臨場感が目を引くが、新宿というメンタルマップはもちろん駅だけにとどまらない。少なからぬ画家たちがアトリエを構えた下落合、中井、高田馬場などを含む「郊外」が、油彩画の新しい景色となるだけでなく、そのアトリエを起点として、画家から画家へと縁がつながっていく様もよく分かる。
その意味で、やはり圧巻なのは佐伯による手法の開拓。パリを描いて愛された佐伯だが、下落合のテニスコートで興じる人たちを描く一枚は、風俗画的な新鮮味があるとともに、運動中の身体をいかに描くかにも腐心しているのが分かる。また、人の縁という観点から見れば、小泉八雲の息子として新宿に生まれ、会津八一に画才を見いだされた小泉清(1899~1962年)の「向日葵(ひまわり)」が展示されているのも貴重だろう。ゴッホからの残響も聞こえつつ、フォーヴィスムのタッチで抽象化された、油彩ならではの物質感に目がくぎ付けになる。
それにしても2026年現在、東京各所にはますます巨大ビルディングが林立して、ニューヨークのようにビルの谷間の暗い、見知らぬ都市風景が現出している。新宿もまた、現在の西口大開発が終わるころにはやはり、雑居ビルが建ち並ぶ昭和の風景は記憶の底に沈んでいくのだろう……そんな「感傷」に浸りながら会場を巡っていた私に、松本の「立てる像」(1942年)が、圧倒的な力で迫ってきた。高田馬場付近のごみ捨て場を背景にする自画像。街は画家の足元にあえて低く描き、青年は不安な目をしながらもなお、大地を踏みしめて立つ。松本ならば、それが現代の新宿であっても、このように描くのではないかという奇妙な確信を得ながら、油彩画だからこその都市表現への挑戦と、人間への信頼を深くかみしめた。
2026年2月12日 毎日新聞・東京夕刊 掲載