来年(2026年)、藤田嗣治は生誕140周年を迎えるということで、今年から多くの展覧会が開催されている。日本における藤田研究もいよいよ成熟の時を迎え、巨匠としての追認ではなく、その魅力を多角的に提示すべく、展覧会も新たな段階に入ったことが分かる。
例えば「藤田嗣治×国吉康雄」展(兵庫県立美術館、終了)では、二人のパラレルキャリア(異国で高い評価を受け、戦争を経験し、戦後なお異国で活動する)の相同と独自の体験、二人の交差が詳細に明らかにされた。これだけの作品と資料が一堂に会することはなかなかないだろう。同様に、来年まで全国を巡回する「藤田嗣治 絵画と写真」展(名古屋市美術館で12月7日まで開催中)も間違いなく空前絶後の規模と企画であり、決定版と言ってよい。
現代の「アー写」(アーティスト写真)よろしく、藤田が芸術家としての自己像を凝った写真で演出したことはよく知られている。しかし藤田と写真の関係はそれだけでない--絵画の素材としての写真、旅先の写真での民族学的顔貌の把握や、写真によるコラージュ作品まで、およそ「藤田と写真」というテーマで考え得るあらゆる側面から、丁寧に組み立てられた展覧会である。
長く<パリ写真>(パリとパリ人を主題とした都市写真)を研究してきた筆者にとってはやはり、「写真家としての藤田」が興味深い。そもそも藤田は、パリ写真家の先駆とも言えるウジェーヌ・アジェの顧客の一人で、しかもアジェの「郊外」写真に啓示を受けて油彩画の作品を描いていた。すでにそこに、パリ写真家の資質を見いだせる。
会場ではぜひ、スライドショーでそれを堪能してほしい。あの懐かしい「カシャ、カシャ」という音と共に次々映されるカラースライド(東京芸術大学所蔵)。1950年代にパリに取材した木村伊兵衛は、逸早(いちはや)く藤田のカラー写真の良さに気づき、『アサヒカメラ』等に紹介して、写真界にも一気に知られたという。--蚤(のみ)の市の奇妙なオブジェを撮ったマン・レイ風、ゾーン(都市周縁)の人々に向けるアジェ風。工場のメタリックな配管を見せるクルル風、アパルトマンの窓と鳥籠を撮ったイジス風、車道に斜めに出て行く瞬間の車を真上から取ったカルティエ=ブレッソン的構図……。画家は、そうした写真家たちの構図や技法を真似(まね)ているのではなく、すでに自然に、自分の身体にそうした「眼(め)の記憶」を豊かにため込んでいるのだ。
パリではなくおそらくドイツで撮られたこのバス停の写真では、彼の眼は明らかに、車体の黄色と赤、婦人の白いドレスなど色彩のリズムを楽しんでいるかのようだ。一瞬ドアノー風なのだが、面白いのはそこにいる人々との「魂の交歓」がないことで、これこそがカメラマン藤田の際だった個性であるとも言える。都市とその住民の懐に入り込んで馴染(なじ)み、日常の風景を新鮮に捉えたり、大人や子供、動物たちのちょっとした仕草や情感を捉えるといった「ヒューマニズム」ではない。
そう思いながら、会場最後に展示された油彩画「フルール河岸」の前に立てば、何という「画家の個性」だろう--アジェ風の「古きパリ」の面影ではあるのだが、建物をちょっとゆがんだ直線でまとめ、細部の細部まで愛(いと)おしむ、職人的な描き込み。とはいえ店舗のファサードの「黄色」や屋根裏の窓の「赤い」シェードにアクセントを置く、(セピア色の懐旧ではなく)カラー写真的な面白さ。そうした全てが詰まっている。まさしく藤田の「絵画と写真」を奥深く堪能できるまたとない機会である。
2025年10月9日 毎日新聞・東京夕刊 掲載