池田修さんに白いカーネーションが手向けられた

 横浜を拠点に現代美術の発表の場をつくってきた、アートディレクターで、NPO法人BankART(バンカート)1929前代表、故・池田修さん。今年3月に64歳で死去した池田さんの足跡をたどり、バンカートの未来を考える会が横浜市内で6日間にわたって開かれた。

 池田さんは1957年、大阪市生まれ。2004年にバンカートを設立し、横浜市と連携しながら、かつての銀行や倉庫などを活用して展示やスクール、出版などの活動を行ってきた。

 会は「都市に棲(す)む―池田修の夢と仕事」と題し14~19日、開催された。会場には詳細な年表を掲げ、バンカート以前に携わったPHスタジオや、代官山ヒルサイドギャラリーでの活動についても紹介。愛用のギターやコートの傍らには、献花台を設けた。

石内都さん(右)と柳幸典さん

 ゆかりのある人々を招き、連日開催したトークイベントでは15日に、写真家の石内都さん(47年生まれ)と、美術家の柳幸典さん(59年生まれ)が登場。5回展示の思い出があるという石内さんは「いつもいるのに、今日はここにいないのが不思議」だと語り、柳さんは出会った80年代を振り返って「侃侃諤諤(かんかんがくがく)議論し、共に戦ってきた同志。喪失感は強い」と悼んだ。

 2人が口をそろえたのは「人と人をつなぐ人だった」ということ。柳さんは「理系の人間だったからお金の計算もできて、交渉力もあった。美術館ではできない仕事をした」と評価。石内さんは「池田修という個性が、バンカートと横浜に融合していた」と話した。

 終盤には、代表に就任した細淵太麻紀さんもマイクを握り、「このような会を通じて池田さんが何をやり、何を見てきたか共有しながら、次にどうしていくかみんなと一緒に考えていきたい」と呼びかけた。池田さんの文章をまとめた初の著書『池田修の夢十夜』(BankART1929)も刊行された。

2022年6月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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