雅号は「不倒」。その名の通り、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)(1874~1941年)はたゆまぬ探究心で写実表現を磨き続けた。近代日本洋画の発展に確かな足跡を残した画家の約25年ぶりとなる大規模回顧展「生誕151年からの鹿子木孟郎」が、泉屋博古館東京(港区)で開催中だ。
鹿子木作品の写実の魅力は対象の本質に迫る表現にある。例えば「某未亡人の肖像」(12年)。膝の上で手を組み、伏し目がちに座るのは画家の妻の養母だ。夫を早くに亡くし、女手一つで子育てした母の居住まいには静けさとすごみが漂う。苦労したであろう長い年月は何より、手に刻まれている。「目に見えているものの内側にある血脈や心の動きを完璧に絵にしている。近代洋画の肖像画の中の傑作」と野地耕一郎館長は高く評価する。
こうした表現を可能にしたのが、デッサンの鍛錬だった。岡山生まれの鹿子木は、14歳から私塾で洋画の基礎を学び、18歳で上京。住友家の援助などを受けながら、1900年に渡米して以降、18年までに計3度、パリへ留学している。その間、フランス古典派の巨匠ジャンポール・ローランスに師事。西洋絵画の伝統である人体デッサンに徹底して取り組み、解剖学の知識も貪欲に吸収した。
「骨格や筋肉の付き方など人体の構造を正確に把握することで、ものの内実を理解しようとした」と野地さん。「車夫一服」(06年)には和装の男が腰掛けて一服する姿が描かれ、手足の皮膚の質感までリアルに伝わってくる。その確かな写実技術は群像表現でも発揮され、浜辺の漁師一家を題材にした「ノルマンディーの浜」(07年)はサロン入選を果たした。
20世紀初め、日本洋画の主流は印象派風の明るい作風を目指した黒田清輝ら「新派」だった。それに対し、「旧派」と呼ばれる重厚な画風の流れをくんだ鹿子木は時代に迎合することなく、晩年までリアリズムの信念を貫いた。展示の終盤に飾られている「木の幹」は澄んだ青空の下、一本の巨大な落葉樹の幹がそびえる。圧倒的な存在感を放つ姿は、「不倒」の画家の自画像にも見える。4月5日まで。

2026年3月16日 毎日新聞・東京夕刊 掲載