「黒田辰秋人と作品」掲載の代表作を集めた第1部の展示風景。左から「木」「漆」「螺鈿」の作品が並ぶ=山田夢留撮影

 ◇素材の美を 人間国宝の粋

 木漆工芸家・黒田辰秋(1904~82年)は京都・祇園の塗師屋(ぬしや)に生まれ、生涯を京都で送った。京都の町を歩けば、今も現役で「道具」として使われている黒田の作品に出会うことができる。その生誕120年を記念した大回顧展「人間国宝 黒田辰秋-木と漆と螺鈿(らでん)の旅-」が、京都国立近代美術館で開かれている。

 生家で職人の仕事を間近に見て育ち、当時一般的だった分業制に疑問を抱いた黒田は、図案作成、素地作りから加飾までを一貫して自身で行った。20代の頃には初期の民芸運動に参加。その後も個人作家として「用の美」を追求し、素材の特性を生かしたおおらかで力強い作品を手がけた。70年には、木工芸初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている。

 本展では第1部でまず、代表作を一挙に見せる。白洲正子が監修し、72年に刊行された作品集「黒田辰秋 人と作品」掲載の84点のうち、49点を集めた。「拭漆(ふきうるし)楢(なら)彫花文椅子」(64年)、通称「王様の椅子」は、黒沢明から静岡・御殿場の別荘用に依頼され制作した。優美な曲線、生き生きとした花模様の彫り、拭漆で際立つ美しい木目--。作品一つが「地球と代えられる」だけの価値を有するか、と常に自身に問いかけ制作していたという黒田の仕事が、圧倒的な存在感を放つ。

「拭漆楢彫花文椅子(拭漆楢家具セット)」1964年、豊田市美術館蔵

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 木工芸で人間国宝の認定を受けたこともあり、木のイメージが先立つ黒田だが、本展のサブタイトルには「木」と「漆」と「螺鈿」が併記されている。「黒田にとっては全部が一つの等価なものとしてつながっていた。木の作家だけではないと知ってほしかった」と大長智広主任研究員。第2部ではその三つの仕事を章別に深掘りしていく。

 まずは木。ヒノキや杉といったすっと木目の通った針葉樹よりも、ケヤキやナラ、栗、トチなどクセのある広葉樹を黒田は好んだ。先人の価値観をそのまま受け入れるのではなく、「今までは使われていなかったが良い素材を、自分ならどう引き出せるか」(大長さん)を追求。特性を生かす造形と、木に漆を少しずつ吸い込ませていく「拭漆」の技法は、木それぞれの命を感じさせるまでに、素材の美しさを引き出している。

 次に漆。拭漆で木の内部の美しさを見せた黒田は、赤い漆の作品では形そのものの美しさを提示した。違いがわかるのが「流稜(りゅうりょう)文」の手箱だ。直方体の箱に渦を巻くような彫りを施した黒田の代表作の一つだが、本展では「赤漆」と「拭漆」を展示。彫ることで見えてくる木目の動きが目をひく拭漆に対し、赤漆は稜線そのものの美しさが強い印象を残す。

「拭漆流稜文手筥(てばこ)」1958年=山田夢留撮影
「赤漆流稜文飾箱」57年=山田夢留撮影

 「螺鈿」でも黒田は独自の美にこだわった。伝統的な象嵌(ぞうがん)細工で模様を表すのではなく、貝片一つ一つの質感を見ながら貼り付け、加工。中でも有名なのは「耀(よう)貝」と名付けられたメキシコ産アワビを用いたもので、輝きの違いで市松模様が浮かび上がる総貼の文箱は、重厚な輝きをたたえている。

「乾漆耀貝螺鈿飾筐(かざりばこ)」1969年、個人蔵=提供写真

 人の手を加えることで自然の美しさをより顕在化させる黒田の仕事について、大長さんは「素材をよく知ればこそできたこと」と話す。「木の材質感を引き立てるべきなのに漆を塗ったり螺鈿を使ったりはしていない。これを作るんだというビジョンに向かって、自分の知識や経験、技術を総動員し制作された作品からは、黒田の思考を読むことができる」

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 本展では北海道旭川市から岡山県倉敷市までの各地から、203点の作品を集めた。この規模の回顧展が京都で開かれるのは、実は初めてのこと。全国でみても、没後40年以上を経てまだ3度目だという。

 知名度に比して紹介の機会が少ないのは、黒田が「構成しづらい作家」だからではないか、と大長さんは言う。「最初期から自分が何を作るかという焦点が明確で、その焦点を生涯をかけて掘り起こし、作品化し続けていった作家だった」。ものづくりの歴史に今も輝く黒田の軌跡は、大きな起伏がないゆえに「見せる」難しさがあるというわけだ。その仕事を、小林秀雄は「やはり名人といふものは、個性は一貫したものだ」とたたえている。3月2日まで。同15日からは豊田市美術館(愛知県)に巡回する。

2025年2月3日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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