企画展
昭和モダーン モザイクのいろどり
板谷梅樹の世界
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【東京】
2024年8月31日(土)~9月29日(日)
- 本展に
ついて - 開催概要
- みどころ
「昭和」モダンのアートシーンを飾ったモザイク作家・板谷梅樹(いたやうめき、1907-1963)。かつての日劇のモザイク壁画、瀟洒な飾箱や飾皿、帯留やペンダントヘッドなど、絵画や模様を表出した独特のエキゾチックなモザイク作品は、どれも清新な色彩と可憐な意匠にあふれています。
近代陶芸の巨匠・板谷波山(いたやはざん、1872-1963)の息子であった梅樹は、父が砕いた陶片の美しさに魅了され、20代半ばから陶片を活用したモザイク画の制作を志します。その代表作は旧日本劇場一階玄関ホールの巨大なモザイク壁画(1933年作、原画:川島理一郎)でした(現存せず)。戦後復興の中で残された梅樹の作品は決して多くはありませんが、近年その再評価の機運が高まっています。
本展は、梅樹作品を一堂に集めた初の展覧会となります。昭和29(1954)年に制作された現存する最大の壁画《三井用水取入所風景》は、本展の見どころのひとつといえるでしょう。住友コレクションの板谷波山作品と共に、カラリストと称された波山と梅樹の美の競演をお楽しみください。
近代陶芸の巨匠・板谷波山(いたやはざん、1872-1963)の息子であった梅樹は、父が砕いた陶片の美しさに魅了され、20代半ばから陶片を活用したモザイク画の制作を志します。その代表作は旧日本劇場一階玄関ホールの巨大なモザイク壁画(1933年作、原画:川島理一郎)でした(現存せず)。戦後復興の中で残された梅樹の作品は決して多くはありませんが、近年その再評価の機運が高まっています。
本展は、梅樹作品を一堂に集めた初の展覧会となります。昭和29(1954)年に制作された現存する最大の壁画《三井用水取入所風景》は、本展の見どころのひとつといえるでしょう。住友コレクションの板谷波山作品と共に、カラリストと称された波山と梅樹の美の競演をお楽しみください。
【展覧会名】特別展 昭和モダーン モザイクのいろどり
板谷梅樹の世界
【会期】2024年8月31日(土)~ 9月29日(日)
【休館日】月曜日、9月17日・24日(火)
*9月16日・23日(月・祝休)は開館
【開館時間】午前11時 ~ 午後6時(入館は午後5時30分まで)
*金曜日は午後7時まで開館(入館は午後6時30分まで)
【入館料】一般1,200(1,000)円 高大生800(700)円 中学生以下無料
*( )内は前売り、20名様以上の団体料金。
前売入館券をオンラインチケットのみで販売中。6月1日(土)から8月30日(金)まで。
館受付での販売はありません。
【主催】公益財団法人 泉屋博古館、板谷波山記念館、毎日新聞社
【後援】東京メトロポリタンテレビジョン株式会社
【企画協力】公益財団法人波山先生記念会
板谷梅樹の世界
【会期】2024年8月31日(土)~ 9月29日(日)
【休館日】月曜日、9月17日・24日(火)
*9月16日・23日(月・祝休)は開館
【開館時間】午前11時 ~ 午後6時(入館は午後5時30分まで)
*金曜日は午後7時まで開館(入館は午後6時30分まで)
【入館料】一般1,200(1,000)円 高大生800(700)円 中学生以下無料
*( )内は前売り、20名様以上の団体料金。
前売入館券をオンラインチケットのみで販売中。6月1日(土)から8月30日(金)まで。
館受付での販売はありません。
【主催】公益財団法人 泉屋博古館、板谷波山記念館、毎日新聞社
【後援】東京メトロポリタンテレビジョン株式会社
【企画協力】公益財団法人波山先生記念会
1.美術館初の板谷梅樹回顧展
板谷梅樹は、明治40(1907)年東京・田端に陶芸家・板谷波山の五男として誕生しました。18歳で明治大学を中退し、単身ブラジルへ渡航。ドイツ人経営の農場で働くものの、一年後に帰国します。帰国後、梅樹は波山の友人で、日本のステンドグラスの先駆者・小川三知の工房に出入りするうちに、ステンドグラスやモザイクに興味を持ったに違いありません。
昭和8(1933)年、日本劇場一階玄関ホールのために、陶片などを用いて高さ3mの巨大モザイク壁画を制作しました(現存せず)。第14回帝展に同作を元にした壁画を出品し初入選し、以降、日展を中心にモザイク作家として活動しました。昭和38(1963)年5月5日、逝去。
昭和モダニズムを彷彿とさせる鮮やかな色彩の作品で、モザイク作家として活躍した梅樹の作品を紹介します。
2.現存する梅樹作品最大のモザイク壁画
高さ約370㎝におよぶ《三井用水取入所風景(みいようすいとりいれじょふうけい)》は、昭和29(1954)年に横浜市の依頼で梅樹が制作し、同年、第10回日展にも出品された作品です。
本作は、明治20(1887)年、日本初の近代水道施設としてつくられた三井用水取入所を中心に、富士山麓の豊かな自然が表現されました。富士山の山麓に位置する相模川と道志川の合流地点に佇むレンガ造りの三井用水取入所は、蒸気機関で駆動する揚水ポンプを使い水を汲み上げる画期的な施設でした。その壮大な姿をお楽しみください。
3.父・板谷波山との競演
梅樹の父・波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さず、端正で格調高い作品を数多く手がけました。かつて板谷波山の田端旧宅から、波山が明治39(1906)年に構築した窯跡が発掘されました。窯跡からは、明治時代末期のデビュー当時の作品、大正時代の彩磁、葆光彩磁、円熟期の青磁、白磁、鉄釉磁、茶道具などおびただしい陶片が発見されました。それと共に発見されたのは、梅樹が手掛けたモザイクやステンドグラスの材料にされた素材類でした。梅樹は幼い頃から波山が焼損じの美しい破片を土中に埋めるのを度々見て、色々の形に砕いたり、寄せ集めて玩んだりしていたそうです。この幼少期の体験がのちにモザイク作家・板谷梅樹誕生へと繋がりました。
板谷梅樹は、明治40(1907)年東京・田端に陶芸家・板谷波山の五男として誕生しました。18歳で明治大学を中退し、単身ブラジルへ渡航。ドイツ人経営の農場で働くものの、一年後に帰国します。帰国後、梅樹は波山の友人で、日本のステンドグラスの先駆者・小川三知の工房に出入りするうちに、ステンドグラスやモザイクに興味を持ったに違いありません。
昭和8(1933)年、日本劇場一階玄関ホールのために、陶片などを用いて高さ3mの巨大モザイク壁画を制作しました(現存せず)。第14回帝展に同作を元にした壁画を出品し初入選し、以降、日展を中心にモザイク作家として活動しました。昭和38(1963)年5月5日、逝去。
昭和モダニズムを彷彿とさせる鮮やかな色彩の作品で、モザイク作家として活躍した梅樹の作品を紹介します。
2.現存する梅樹作品最大のモザイク壁画
高さ約370㎝におよぶ《三井用水取入所風景(みいようすいとりいれじょふうけい)》は、昭和29(1954)年に横浜市の依頼で梅樹が制作し、同年、第10回日展にも出品された作品です。
本作は、明治20(1887)年、日本初の近代水道施設としてつくられた三井用水取入所を中心に、富士山麓の豊かな自然が表現されました。富士山の山麓に位置する相模川と道志川の合流地点に佇むレンガ造りの三井用水取入所は、蒸気機関で駆動する揚水ポンプを使い水を汲み上げる画期的な施設でした。その壮大な姿をお楽しみください。
3.父・板谷波山との競演
梅樹の父・波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さず、端正で格調高い作品を数多く手がけました。かつて板谷波山の田端旧宅から、波山が明治39(1906)年に構築した窯跡が発掘されました。窯跡からは、明治時代末期のデビュー当時の作品、大正時代の彩磁、葆光彩磁、円熟期の青磁、白磁、鉄釉磁、茶道具などおびただしい陶片が発見されました。それと共に発見されたのは、梅樹が手掛けたモザイクやステンドグラスの材料にされた素材類でした。梅樹は幼い頃から波山が焼損じの美しい破片を土中に埋めるのを度々見て、色々の形に砕いたり、寄せ集めて玩んだりしていたそうです。この幼少期の体験がのちにモザイク作家・板谷梅樹誕生へと繋がりました。