2023年に出光美術館で開かれた「江戸絵画の華」展の会場風景=東京都千代田区で主催者撮影

【ART!】
流転する美術品、まとう歴史

文:廣海伸彦(ひろみ・のぶひこ=出光美術館主任学芸員)

美術品

 1977年に単行本が発売された有吉佐和子の小説『青い壺(つぼ)』(文芸春秋)が、最近になってリバイバルヒットしているという。この小説では、この上なく美しい青磁の壺が世のなかを渡ってゆく様子とともに、それぞれの所有者たちが置かれた境遇やさまざまな感情の機微がとても実感豊かに、小気味よく語られる。どこまでも静謐(せいひつ)な青磁のたたずまいと登場人物の営為の賑々(にぎにぎ)しさとを巧みに対比させる手法に、膝を打った読者は多かろう。

 物語の結末。長い流転の旅の果てにこの壺を手に入れた名のある美術鑑定家は、それが中国・南宋時代の龍泉窯(よう)で焼かれたものと見て間違いないという。彼の目の前には壺をつくった当事者がいて、十余年前に自分が焼いたものであることを繰り返し訴えたにもかかわらず、鑑定家は頑として自説をゆずらない。権威ある専門家の眼(め)すら欺いた最大の理由は、もちろんこの壺を生み出した陶工のずば抜けた技量にあるのだろう。それと同時に、この〝贋作(がんさく)〟に800年前の青磁の雰囲気をまとわせたのは、売買や贈答、さらに盗難まで、幾多の出来事を通じてこの壺を〝薫陶〟したもの、いうなればその流転にたずさわった人間たちの暮らしの垢(あか)みたいなものでもあったのではないか。

 美術品は動く。青い壺のようにその時その時の所有者たちの生活のにおいをまとわせながら。元来、美術品は動産という性格を確かに持っていて、それゆえに流転する。実際、日々の仕事で接している古美術品のほとんどすべては、つくられた当初からこの場所に収められることなど想定されておらず、さまざまな人の手を経て今日にいたったものばかりである。

 この当たり前のことを、強い実感とともに再認識させられるようなビッグニュースに接したのは、まさにこの文章を書いている時のことだった。箱根にある岡田美術館のコレクションが、この秋に香港で開催されるオークションにかけられるという。主催者が公開している作品のリストを見ると、そこには同館の顔というべきものまで数多く含まれているではないか。開館から10年あまり。これらの作品が手放されることになった経緯はわからない。だが、美術品を同じ場所で長く守り伝えるために求められる労力は、並大抵なものではない。それは綺麗(きれい)ごとばかりではないのである。

 私自身にも、美術品の流転の現場に間近に立ち会った経験がある。アメリカの日本美術コレクターであるジョー・プライスさん、エツコ・プライスさんによって蒐集(しゅうしゅう)された作品の一部を出光美術館がゆずり受けたのは、2019年のことだった。少なからぬ日本美術史研究者がそうであるように、私もプライス夫妻から学恩を受けた元学生のひとりである。太平洋を望む心地よい鑑賞室で、ジョーさんが屛風(びょうぶ)や掛け軸を本当にいつくしむようにあつかう姿を忘れない。確かに、私たちに手渡されたのは紙や絹と絵の具でできた物体である。だが、ひとつひとつの作品には、プライス夫妻が生涯にわたって日本美術に対して注ぎつづけた愛情がまとわっているようにも感じられる。ちょっと大げさにいうならば、私たちが美術品とともに受け継いでいるのは、その流転に関わった人たちの歴史でもあるのだ。

2025年12月8日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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