重要文化財 鶴図下絵和歌巻 本阿弥光悦筆 一巻 縦34.0cm × 横1356.0cm(部分)京都国立博物館蔵 出典:ColBase

【書の楽しみ】
絵師と能書の素晴らしい調和=島谷弘幸

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・ 九州国立博物館長)

 密集する鶴の群れが水辺で佇(たたず)み、下方から大空に向かって力強く羽ばたき、強風によって高い波濤(はとう)がうねる海を飛翔(ひしょう)し、そして滑るように舞い降りる美しい姿を、胡粉(ごふん)を引いた料紙を継いだ長い巻物に右から左へと流れるように金銀泥で生き生きと描く。その上に個性的な書風で揮毫(きごう)されるのは、三十六歌仙の和歌である。

 こうした巻物は通常、絵が先に描かれる。群鶴の絵を描いたのは、安土桃山から江戸時代に活躍した琳派(りんぱ)の巨匠として知られる俵屋宗達である。絵師は絵画だけの作品であれば、自らの思うままに筆を運んでよいが、こうした作品では書きすぎては次に筆を執る能書が困惑することにもなろう。しかし、遠慮し過ぎては自分の絵師としての沽券(こけん)にかかわるので、ちょうど良いところを模索しながらの執筆となる。こうして出来上がったのは、躍動する群鶴の姿を華麗に展開した作品であった。

 そして、三十六歌仙の詠んだ和歌に筆を執ったのは、陶芸や漆工芸にも堪能で、当時のアートディレクター的な存在でもあった近世初期を代表する能書の本阿弥光悦(1558~1637)である。宗達の描いた巻物を目にした光悦は、その技量に感嘆したであろうことが想像にかたくない。光悦は、その宗達下絵の出来栄えにやや緊張した思いを持ちながらも、料紙との調和を図るべく、自らの書風を巧みに表現して散らし書きにしている。ある意味、絵師と能書の勝負に似た感覚があったかもしれない。線の肥痩(ひそう)を巧みに操り、豊潤でありながら切れ味の鋭い筆致で応えている。もちろん、文字の造形も美しく、連綿の流れるような練度を増した線も美しい。途中からは、緊張感を楽しむかのように筆を進めているかに見える。

 平安朝の美に憧れた光悦が、日本の伝統的な和様の書を基盤とするのは当然のことである。加えて、弘法大師を祖とする大師流の影響も受けている。さらに、日本の書だけにとどまらず、中国・宋時代の張即之の書法にも目を向けるが、単なる模倣にとどまらず自らの感性を発揮して創作した豊麗な書風を築いた。伝統に立脚しながらも、その斬新で奔放自在な光悦の書は、型を踏襲するという伝統に固執していた室町時代以来の書の世界に新たな息吹をもたらし、驚きの目をもって迎えられ、高く評価されたことであろう。

 適当な表現ではないかもしれないが、歌舞伎での立ち役と女形の掛け合いにも似るようにも思える。出し物によっても役者は演技を変えるが、絵師も能書も注文された題材でその表現を変えていく。両者の持てる力を出し切った絵師と能書の見事なコラボレーションの結果がこの作品である。加えて、平安朝文学を能書は表現しており、絵と書と文学の調和という一段高いハードルもクリアしたものといえよう。

 光悦の書は、慶長期の終わりに軽い中風を患って一変する。その後、彼は元和期に入ってから好んで漢詩文を書き始めるようになる。その漢字の部分は連綿がほとんどなく、行間や字間の余白の扱いがさらに昇華していく。

2021年5月16日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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