柚木沙弥郎「木もれ陽」(2019年 型染、木綿 長野・松本市美術館蔵)=提供写真

【美の越境】柚木沙弥郎の「極北」

文:学習院女子大教授・今橋理子(日本美術史)

染色

 昨年1月に101歳で他界した染色家・柚木(ゆのき)沙弥郎(さみろう)(1922~2024年)。自らも企画の立ち上げに関わったという「柚木沙弥郎 永遠のいま」展は、図らずも遺作展となった。最後の巡回地である東京オペラシティアートギャラリーで、この記念碑的な展覧会をいま観(み)ることができる(12月21日まで)。

 岡山県倉敷市の旧家に生まれた柚木は、南画家の祖父と洋画家の父をもつ環境で、東京・田端で育った。東京帝国大学美学美術史科に入学するが、1年足らずで学徒出陣。「戦争はたかが数年っていうけれど(中略)友もたくさん死んだ。(中略)彼らがやりたくても出来(でき)なかった分まで、自分なりにやり遂げる義務があると思っています」(『柚木沙弥郎のことば』)という発言は、本当にその通りであっただろう。

 戦後すぐ、柳宗悦の民芸運動に強く共鳴して染色工芸の道を志し、型絵染の人間国宝・芹沢銈介(けいすけ)(1895~1984年)に師事。瞬く間に才能は開花し、人々の日常に寄り添うような作品を、1948年ごろより数多く世に送り出した。

 服地や帯地のデザインでは、ときに風の流れを感じさせる木の葉や波の揺らぎなど、自然の光景から触発された明快なパターンと豊かな色彩が特徴で、いま見ても70年以上も前とは思えない。創作は他にも、絵本や人形、インテリアデザイン等にもおよび広汎(こうはん)である。さらに、特筆すべきは女性アーティストの育成にも尽力したことで、女子美術大学の学長を務めたことも忘れてはならない。生涯多忙な日々を過ごした柚木だが、次のような印象的なことばを遺(のこ)している。

 「いつからだって、どんな対象だっていいんだよ。僕だって物心ついたのは80歳になってからなんだから」(同書)

 私事だが、筆者が美術史を学ぶ学生であったころ、折に触れて教授から「芸術家の言葉をそのまま鵜呑(うの)みにしてはいけない」とアドバイスされた。というのも、芸術家の「ことば」に頼り過ぎると、作品を解釈する際にそれがバイアスとなり、物を見る客観性が失われる危険がある--というのが理由だった。しかし本展を見終えたとき、柚木の先の言葉は、益々(ますます)もって彼の「実感」であると確信され、心底の感懐以外の何物でもないと思えた。

 偶然なのだが、あの葛飾北斎が「(大意)私は……73歳にして漸(ようや)く禽獣(きんじゅう)虫魚の骨格や草木の生え具合を僅かに悟ることができた。だから80歳でますます腕に磨きをかけ、90歳で奥義を究め、100歳になれば、まさに神妙の域に達すると思う」(『富嶽百景』跋文(ばつぶん))と述べた、それにも通底しているではないか! これは、たゆまず創作し続けた者だけがたどり着く、いわば「極北」の感覚なのではないか--。

 柚木が最晩年に、繰り返しモチーフとした代々木公園の老木「サイカチ」の型染作品は、特にそれを印象づける。交差する2色の藍色で染め上げられた枝ぶりの美しい「木もれ陽(び)」(2019年)は代表作だが、会場の片隅の小品に、筆者はふいに心をつかまれた。葦(あし)ペンによる肉筆画「サイカチの木」(23年)--神妙の域に達しても、なおも「希求すべきかたち」が芸術家にはあるのだ、と。そして、心に湧き上がるその「かたち」が、芸術家をして「ことば」を語らせるのだと、改めて強く信じられた。「永遠のいま」と題された本展の最後、この画(え)の前に立ち戻り、そして会場をあとにした。

柚木沙弥郎「サイカチの木」(23年、個人蔵)=提供写真

2025年11月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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