肇国創業絵巻 下巻 詞書=尾上柴舟筆 画=吉村忠夫ほか筆 昭和14(1939)年 紙本着色 1巻(2巻のうち) 48.0㌢×889.4㌢ 皇居三の丸尚蔵館収蔵(文化庁蔵)

【書の楽しみ】
日本画家と名筆の競演

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長、皇居三の丸尚蔵館長)

 紀元二千六百年奉祝会によって、大国主命の国譲りから神武天皇の即位にいたるまでのこの「肇国(ちょうこく)創業絵巻」の制作が企画された。昭和14(1939)年に横山大観、安田靫彦、前田青邨、中村岳陵、吉村忠夫、服部有恒など再興院展と官展で活躍していた日本画家が結集して絵画を分担し、詞書(ことばがき)は尾上柴舟(1876~1957年)が執筆した。その流麗な書は、絵巻の詞書としても読みやすいだけではなく、格調の高さは注目に値する。

 柴舟は、岡山県の生まれで、本名は八郎。落合直文に和歌を学び、歌誌『水甕』を創刊するほか、歌会始の選者を長く務めた。歌集『静夜』『永日』などを残し、歌人として名高い。また、平安文学の研究者としても知られる。

 柴舟の成長した明治中期は復古和様の書が流行していたが、師の大口周魚が平安古筆の研究者であり、御歌所(おうたどころ)の所長、高崎正風も古筆を愛好したこともあり、柴舟も次第に王朝趣味の雰囲気を受けながら、平安時代の古筆の研究に取り組んだ。なかでも「高野切本古今和歌集」の第3種の書風に憧れを持ち、それを基盤として書風を確立した。柴舟は、昭和12(1937)年には比田井天来と共に日本芸術院会員に選ばれるが、これは書における業績が大きい。また、柴舟が通称〝文検〟と呼ばれる教員検定試験の試験委員を務めたことから、その影響力は極めて大きく、彼の書風が教育界、書道界に広く定着することになった。昭和中期における仮名書壇の中心的人物で、『平安朝時代の草仮名の研究』などの名著を残した研究者でもあり、この絵巻の詞書の筆者に選ばれたのも当然のことであった。

 「粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集」の書風を手中にして平安朝古筆を再現できるほどの柴舟であったが、ご覧のようにこの絵巻の詞書は、それらの古筆に比べてかなり大きい。品位を保ちつつ、細字から中字に書き進めるのには、相当の力量が求められる。それも、淡くピンクと黄色に染められた紙に細かい金砂子と梅の花びらを散らした料紙であり、名だたる日本画の大家との競演であり、柴舟にとっても緊張を余儀なくされる状況であったことがうかがわれる。「こゝにあらぶる神あり。毒気を/吐きて、皇軍をなやます。軍はことゞゝく瘁(つか)れて、振ふことあたは/ず。時に熊野の云々」と墨の濃淡、文字の大小、行間や字間の変化を交えながらの執筆であった。

 この絵巻は、昭和15(40)年の5月に帝室博物館(現在の東京国立博物館)の表慶館で一般公開された。当時の代表的な画家が到達した端正な描線や美しい彩色が特徴で、それに応じて執筆した柴舟の詞書と共に注目された。

 昭和23(48)年には、日展に第5科として書が加わることになり、柴舟も豊道春海と共に常務理事として参加したため、彼の書風が仮名書壇の中心として展開していった。この後に、展覧会における大字仮名の書風が加わり、書壇にも大きな変化が見られるが、古筆研究や展覧会における仮名書道を切り開いた人物として特筆される。

2025年11月17日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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