ベルリンの壁が崩壊した1989年、大学院生だった筆者はパリで、「ダゲレオタイプ」発明150年を記念する大々的な写真展を偶然に観(み)た。今でも思い出すのは、写真を「美術館で」取り上げようという挑戦的な試みに対する、観客たちの興奮である。それから時を経て、現在では当たり前のようになっている「美術館での写真鑑賞」だが、実はなかなか奥が深い。
東京都写真美術館(以下、写美)は、恵比寿での総合開館から今年で30周年を迎えた。現在の所蔵作品数は3万8000点を超えるという。経済的な困難もいろいろと乗り越えながら収蔵された作品群を自由に使いながら、今年度二つの所蔵品展--①「不易流行」(4~6月、終了)と②「トランスフィジカル」(現在開催中、9月21日まで)が開かれている。コロナ禍を通して多くの美術館は、身近にある「収蔵品」の価値を再発見し、企画展と同じほどの熱量と工夫で新たな展開をしようとしている。
今回の連続所蔵展は、延べ9人(①=5人、②=4人)の学芸員のオムニバス形式。①展では、「写された女性たち/寄り添う/移動の時代/写真からきこえる音/うつろい・昭和から平成へ」という5部構成。②展では、「撮ること、描くこと/dance/COLORS/虚構と現実/ヴィンテージと出会うとき」という5部構成。一見ばらばらな小テーマ設定に見えるが、実際に展覧会で観るとそうではない。何よりも興味深いのは、「写真史を学ぼう」「写真技術に精通しよう」「有名写真家の作品に接しよう」というような、写真所蔵品展の王道からあえてはずれて、複数名の学芸員の個性を活(い)かしつつ、「インターセクション」も設けて、あたかも「連歌」のように発想がつながり、繰り返され、離れ、そして最後にまとまっていく愉(たの)しさを味わうことができる点である。
とはいえ「写真史」そのものを無視しているわけではない。例えば開催中の②展では、第1室で英国や日本の初期写真の名品(キャメロン、ロビンソン、黒川翠山など)を間近に鑑賞し、第5室で文字通りヴィンテージ写真の優品(カルティエ=ブレッソン、モホイ=ナジ、瑛九など)を堪能することができる。初出品の19世紀カラー写真(オーロン)に導かれて、第3室(学芸員4人協働)のカラー写真群に行くこともできる。第2室(ダンス)と第4室(虚構と現実)は、現代作家とのコラボも含めて、個性溢(あふ)れる作品選択で挑戦的である。それもまた、3万8000点という膨大な所蔵品に支えられてこそ可能なことなのであろう。開館から30年を経て、「すでに退職、あるいは亡くなった先輩学芸員たちの仕事や思いも継承したい」(石田哲朗学芸員の談話)との言葉は深く響く。収集のみならず保存の専門員も置いて活動している写美の存在自体が貴重である。
所蔵写真展の見方は自由--写真史の流れを堪能するも良し、企画の面白みに浸るも良し、人に紹介したい「今日の一枚」を見つけ出すのも面白い。個人的には、林平吉「円の構成」に釘(くぎ)付けになった。いまやこの作品しか地上に確認されていない作家である。穏やかな果物静物画ながら、カラー写真の初源の試みであり、しかも「円」を重ねるモダニズムも感じさせる先駆性。その向こうに多和田有希の作品(「WHITE OUT No.10」)を見通す会場構成もリズミカルで巧みである。何度でも通って、別の鑑賞ルートを探し出せる醍醐味(だいごみ)も味わえそうだ。
2025年8月14日 毎日新聞・東京夕刊 掲載