日本初の人権宣言とされる「全国水平社創立宣言」の起草者、西光(さいこう)万吉(1895~1970年)が画業にも秀でていたことを知る人は、多くない。生誕130周年にあたる今年、これまで美術界で顧みられることがなかった西光の作品を特集する展覧会「西光万吉の表現」が、奈良県御所市の水平社博物館で開かれている。「美術史上で不可視化されてきた西光の画業に、光を当てたい」。そう考える研究者らが中心となって企画した、初の本格美術展だ。

◇出自判明恐れ道断念
展示室のガラスケースには所狭しと作品が並ぶ。色鮮やかな「蘭陵王(らんりょうおう)」は、臣下の士気を上げるため、自身の美貌を隠す恐ろしい面を着けて戦ったという中国の武将がモチーフだ。出自を理由に画家の道を諦め、一時心身を病んだ西光は、蘭陵王の雅楽を見て再起したという。素顔を隠さざるを得ない中で強く闘う姿に、自らを重ね合わせたのだろうか。
好んで描いたモチーフらしく、隣には制作途中の1枚が並ぶ。同じ題材にもさまざまな工夫を施し向き合っていた「画家」西光の姿が浮かぶ。作品とともに、題材や技法などに関する解説パネルも掲示されている。ただし、通常の展覧会でキャプションに記されているはずの制作年は、どの作品にも書かれていない。まだ、わかっていないからだ。
西光は、水平社博物館の向かいに立つ西光寺に生まれた。子どもの頃から部落差別に苦しみ、学校でも教師らから差別を受け旧制中学を退学。画家を志し、京都の関西美術院で洋画を、上京後は日本画も学んだ。将来有望な若手とみられたが、画業の師から娘との結婚を促されたり、パトロンの画商から奈良旅行の際に親を紹介するよう言われたりしたことから、出自が知られることを恐れ、画家の道を断念。帰郷した西光は数年後、地域の仲間と全国水平社を結成し、部落解放運動をリードしていく。
水平社旗「荊冠旗(けいかんき)」のデザインや機関誌の挿絵を手がけた西光は、本格的な絵も晩年まで描き続けていた。作品は同博物館や、晩年を過ごした和歌山県にある顕彰会などに残る。過去に展覧会が開かれたこともあるが、美術の研究者が関わったことはなく、今回初めて制作に関する専門的な考察を加えた展示が行われている。
「技術的に高いものを持っているし、伝統的な題材を独自に翻案したり解釈したりする力もある。これまでなぜ研究されてこなかったのか」
そう語るのは、本展を企画した横浜国立大講師の小田原のどかさんだ。彫刻家・評論家としても活動する小田原さんは、水平社が設立100周年を迎えた2022年ごろ、西光の絵に興味を持ち、調査を開始した。
23年春には文学や歴史学の研究者や学芸員らと研究会を立ち上げ、これまで日本美術史で取り上げられてこなかった被差別部落出身者の表現や地域での創作活動についての研究を本格化させた。小田原さんの問題意識は、西光が見落とされてきた美術界の構造にある。「どの教育機関で学んだか、どの師についたか、何派かといったことを中心に扱うため、そこから外れると研究の対象にならない」
文学や映画といった他の表現分野では部落差別の問題が描かれてきている。しかし美術界では西光をはじめ、部落出身者の表現や部落問題を題材とした作品の研究はないという。小田原さんは「本流」しか対象にしない「美術界の権威主義的な側面の表れでは」と指摘する。
「専業」であることが重視されてきたことも背景にあるという。「例えば西光なら『画家じゃなくて活動家だ』と判断される。政治を芸術に持ち込むなという考え方も根強く、社会問題と向き合う表現をきちんと研究・評価することができていなかった」
同様に、結婚を機に発表はやめたが制作は続けていた女性なども、これまで研究対象にはなってこなかったと小田原さんは指摘する。「さまざまな理由で本流から去らざるを得なかった人たちの表現についても、きちんと評価される必要がある」
◇「名品主義」見直され
日本近代美術史が専門で、本展で西光の調査に加わった植田彩芳子・立命館大教授も、美術史は「名品主義」に偏っていたと話す。展覧会での受賞歴などが重視され、「一部の作家や作品にばかり研究が集中していた」。近年、そうした傾向は見直されつつあり、幅広い造形表現が取り上げられるようになってきたという。
植田さんは西光の作品に触れ、「美術というものの裾野の広さを感じた」と話す。差別との闘争や平和運動に奔走した西光が「絵を描いている場合じゃない、となってもおかしくなかった」。それでも描き続けたのは、絵にどんな思いを託したからなのか。「研究の余地があるし、意味もある。知りたい人も多いと思う」と植田さん。今後の研究に期待をつないでいる。
西光の絵について初めて知ったとき、小田原さんは本展にも出品されている「毀釈(きしゃく)」という作品に強く引きつけられたという。西光晩年の自画像とされ、仏像や仏具を焼いて暖を取る僧侶が描かれている。偶像によらない真の信仰を説く禅画の画題「丹霞焼仏(たんかしょうぶつ)」がテーマだが、西光が付けたタイトルは逆の意味。僧侶は不敵な笑みを浮かべ、背景には通常神社に見られる獅子が配されている。

西光は水平社運動を進める中、治安維持法違反で投獄され、転向。戦後は戦争協力を悔やみ、独自の平和運動を推し進めた。「西光の人生の紆余(うよ)曲折を表しているようにも思えて面白い。にやりと笑っている表情といい、いろんな解釈が可能なように描いたのではないか」
下図も展示され、構想段階では背後の梅の木の花がほころんでいたことがわかる。西光の意図に思いを巡らせながら、小田原さんは言う。「作品を評価される環境になかったのに、これだけ工夫を凝らして西光は描いていた。もしかしたら、後の世代に研究されることがわかっていたのかもしれないですね」
「西光万吉の表現」展は来年1月12日まで。月曜休館(12月22日~1月5日も休館)。
2025年12月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載