小林さんの自宅には自身の手掛けた絵本や仕事道具が並ぶ=松原由佳撮影

 小林豊さんは世界各地を旅した経験を基に、アフガニスタン以外の国を題材にした作品も数多く出版している。

 たとえば『ぼくは弟とあるいた』(岩崎書店、2002年)では黒海地方を舞台に、戦火を逃れて祖父の家へと向かう兄弟を描いた。『タタはさばくのロバ』(童心社、05年)は、みなし子のロバが初めて砂漠の旅に出て、戦いで傷付いた馬たちと出合い成長する物語だ。これらの作品にもアフガニスタンを描いた『せかいいちうつくしいぼくの村』(ポプラ社、1995年)と同様に、戦争の影が色濃く映し出されている。

 その理由を尋ねると、小林さんはかみしめるようにこう話した。「僕が生まれた時は、まだ戦争の影がありました。これから先、また戦争の中に入り込みたくない。気を付けないと、すぐに戦争になるから……」。これまで、さまざまな国で「戦争が起こることで、町や人々の生活がどう変わったのか」について話を聞いたり、自身の目で見たりしてきた。その経験から「戦争はいつでも知らないうちに起こる」と警鐘を鳴らす。

 「だから、やはり知らなくてはいけないし、知る手段を持たなければいけない。そのためには読む力が必要なんです。子どものころから、絵や文章の裏側を読む力を身に付けてほしい。そして、考えてほしい。絵本として表現する意義は、そこにあると思います」

 ならば、作品に込めたメッセージは平和を願う気持ちなのか。それを問うと小林さんはこう強調した。「平和なんて、あったためしがないんです。戦争はあります。でも、『戦争がないこと、イコール平和』ではない」。そして「何と言えばいいのかな……」とつぶやき、言葉をつないだ。

 「微妙なバランスの中で、良い日々を作っていかなければいけない。状況は刻一刻と変わります。だから、一方通行にならない(コミュニケーション)方法を日々考えなくてはいけない。そして、話し合う土台を作らなければならないんです」。そのために大きな役割を果たすのも絵本だという。「絵本は、大人と子どもが一緒に楽しめる。読み聞かせをして空間を共有することで、会話が生まれるんです。僕らにとって、なくてはならない景色です」

 小林さんは近年、東京や大阪、長崎など日本をテーマにした絵本を次々と発表している。19年に出版した『えほん 東京』(ポプラ社)もその一冊だ。「ぼく」と「おじいちゃん」が昔と今の東京を旅する物語で、朝鮮通信使の通る日本橋、おじいちゃんの生まれ育った浅草の町など、時を超えて2人は町を歩く。

『えほん 東京』 小林豊作・絵(ポプラ社)

 東京を題材にしたのは「土地の中に、親や先祖の血や汗が染み込んでいる。それらを描いてみたいと思った」からだという。作中で、小林さんは東京についてこう記している。

 <東京は、不思議なまちだ。いまとむかしが、かさなりあって、生きつづけている。(中略)まちは、たくさんの人間のいろんな生活のおもいでをきざみこんで大きくなった>

 しかし、「今と昔」が重なり合って発展してきた東京は、高度経済成長期以降、大きく変貌した。花柳界のにぎわいや、海や木材のにおいにあふれた小林さんの原風景も、もうない。「良い方向に変わればいいのですが、東京は高層ビルが建ち並び、潮風が通らなくなってしまった」。小林さんはそう嘆きながらも、次世代に思いを託す。

 「今までつちかってきた文化をどう残すかが課題。まちが生き残っていけるかどうかは、僕らだけでなく、子どもたちにとっても大事なこと。彼らの明日のことですから。町に興味を持つ子どもたちを増やしていきたい」

 元々、小林さんの旅は身近な町から始まった。幼少期には自転車で千葉へ行き、中学生になると夜行列車で関西を目指した。その延長線上にフランスやアフガニスタンなどヨーロッパ、中東の国々があった。小林さんにとって旅は「人生そのもの」。現在も見知らぬ風景を求め、旅を続ける。

 「昨年は三重県へ行きました。旅はどこでも面白いし、飽きませんね。これから年を取って、あまり旅ができなくなるんだろうけれど。まあ、できるところまでやるしかないです」。国内外を歩き、五感を使って感じたことを絵に残してきた。そこには子どもたちに自分自身の力で未来を切りひらいてほしいという思いが込められている。小林さんの旅は、未来に向けた種まきでもあるのだ。

2025年5月26日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

シェアする