「私には、大きな展覧会の前後で人生にも大きな試練が立ちはだかるというジンクスがある」
大阪中之島美術館での「つながる私(アイ)」展開催に合わせ、月刊誌『新潮』(10月号)に寄せた文章の中で、塩田千春さんはこうつづっている。死産と父の死を乗り越え、ベネチア・ビエンナーレ日本館での展示を成功させた塩田さんを襲った次なる試練は、がんの再発だった。
東京・森美術館のキュレーター、片岡真実さん(現館長)の訪問を受けたのは2017年。四半世紀にわたる作家生活を網羅する、大規模個展のオファーだった。「生きていてよかった。作り続けていてよかった」。大きな喜びを感じた翌日、検診でがんの再発を告げられる。
ステージ3。目の前が真っ暗になり、死を意識した。手術と抗がん剤による治療方針が決まったが、機械的にベルトコンベヤーに乗せられたような気持ちになった。「自分の心はどこにいけばいいのか、わからなくなった」
制作することが、バラバラになりそうな体と心をつなぎ留めてくれた。薬の副作用で髪が抜ける姿を撮影したり、薬剤が入っていたプラスチックバッグにクリスマスツリー用の電飾をつないだ作品を作ったりしては、展覧会向けの新作として片岡さんに提案した。しかし、答えはどれもノーだった。「まだ作品になっていない、と。当時は追い込まれていて、作りながら自分が救われていたし、この作品がいいんじゃないかと本気で思っていた。でも、もう一つ何か必要と言われたことが、後になってすごくよくわかりました」
19年6月、森美術館で「塩田千春展:魂がふるえる」が開幕した。新作「外在化された身体」はブロンズで鋳造した自身の腕や足と、網の目のようにカットした赤い牛革を用いた作品。バラバラに置かれた身体のパーツと重力で編まれた糸のようにも見える革は、宇宙とつながる自分を表現していた。
個人的なことを出発点にしながら、人々の魂を揺さぶる普遍性を持つ。その作品世界に鑑賞者を没入させた展覧会は、同館歴代2位を記録する約66万人を動員。世界に巡回した。
故郷・大阪での「つながる私」展にも、連日多くの人が訪れている。大型のインスタレーション6作品のうち、制作に最も時間を要したというのが「巡る記憶」(22/24年)だ。大きな水槽の上に張り巡らした白い糸。水面に映る糸は、ぽたぽたと落ちてくる水滴で一瞬見えなくなり、波紋が消えるとまた現れる。
美術館では水はもちろん、過度の湿気も本来厳禁だが、作品のためなら絶対に妥協しない塩田さんの姿勢が、異例の展示を実現させた。説明を聞いた実家の母に「そんなことしていいん? ろくなことせえへんなあ」と言われて初めて、大変なことをしようとしていると気付いた、と笑う。
京都精華大時代に師事した彫刻家の故・村岡三郎は、どんなことにも食らいついてくる塩田さんを「おじない」と評していたという。こうと思えば一直線。障害があろうと頑固にやり抜き、人の何倍も働く。「母からは、父にそっくりって言われてます」
「展覧会が大好き」で、「作品を作ることだけが生きがい」だ。作っている間は見る人のことは頭になく、「こう見てほしい」という気持ちもない。ただ、作品を前にした鑑賞者がハッとしている瞬間に立ち会うとうれしい。「ハッとして、興味を持って、そしてアートってなんて深いんだろう、面白いんだろう、というところまでいってもらえたら、すごくうれしい」
実は文章を書くのも好きで、寄稿などを書き終えると大きな達成感があるという。ところが作品となると、そうはいかない。「ああすべきだった、なんでああしなかったんだ、と必ず後悔するし、大きな展覧会の後はどっと疲れて燃え尽きるけど『出し切った』にはならない。制作して満たされたいという思いが、永遠にありますね」
展覧会が終われば作品は解体され、作ることへの渇望を胸に、塩田さんは次へと向かう。現在、「つながる私」展(12月1日まで)と並行し、中国やトルコで四つの展覧会を開催中。今月末にはプラハで個展が、来月からはパリの「グラン・パレ」で「魂がふるえる」の巡回展が始まる。
2024年11月25日 毎日新聞・東京朝刊 掲載