国宝「孔雀明王像」 中国・北宋時代(11~12世紀) 京都・仁和寺蔵(前期展示)=提供写真

【Topics】
京都で宋元仏画展
海越えた信心の結晶

文:花澤茂人(毎日新聞記者)

中国絵画

仏画

国宝

東洋美術

重要文化財

 ◇あこがれや親しみ、日本美術の源流

 「仏画」の展覧会と聞くと、地味という印象を抱くかもしれない。しかも、はるか昔の中国で描かれたものであれば縁遠さも感じそうだ。しかし京都国立博物館(京都市東山区)で開催中の特別展「宋元そうげん仏画-蒼海うみを越えたほとけたち」はそんな予想を裏切ってくれる。高い芸術性に加え、ユニークで表情豊かな仏や仙人たちは親しみやすく、日本人が抱いてきた「あこがれ」の姿も感じさせる。

 画面に広がるクジャクの羽、上空にはたなびく雲。国宝「孔雀くじゃく明王像」(仁和寺蔵、展示は19日まで)は、まさに目の前に降り立とうとする仏の姿を立体的に描く。畳1畳ほどもある作品ながら、細部まで精緻に描き込む画力に圧倒される。

 密教で信仰される孔雀明王は、日本では空海が唐からもたらした「一面四臂しひ」の姿で描かれることが多いが、こちらは珍しい「三面六臂」の姿。穏やかで慈悲に満ちた顔の左右には、かっと目を見開いた憤怒の表情を浮かべた顔があり、忘れがたい印象を残す。中国・北宋時代を代表する傑作と称されるのもうなずける。

■  ■

 「宋元」とは、中国の王朝である「宋」と「元」のこと。なぜ日本でその仏画の展覧会をするのか。「絵として希少なだけでなく、日本文化と深い関わりがある」。企画を担当した同館の森橋なつみ研究員は力を込める。

 10世紀、唐が滅びた後の分裂期を終わらせて中国を統一した宋は、開封に都を置いた前期を「北宋」、臨安に遷都して以降を「南宋」と呼ぶ。官吏登用制度の「科挙」を本格的に運用し、実力のある人材が社会を動かすように。知性的な文化が栄え、皇帝直属の宮廷画院では全国から集められた優れた画家たちによって洗練した表現が磨かれたという。一方、モンゴル人によって13世紀に打ち立てられた元では、国際色豊かな文化が花開いた。

 日本では平安時代から南北朝時代にあたるこの間、多くの日本人僧侶が仏法を求めて中国に渡り、数々の文物を持ち帰った。「儀礼の本尊として宗教的な規範性を持っただけでなく、大変な航海を経て日本にもたらされた品として珍重された」と森橋さん。特に室町時代、足利将軍家によってその価値が高められ、両王朝が滅びた後も大切にされ続けた。中国では王朝の交代や信仰の変化によってその多くが失われたため、現存する宋元仏画はほとんどが日本にあるとされている。

■  ■

 展示では、特定の宗派に限らず密教や浄土教など幅広いテーマの作品が並ぶ。さらに仏教の枠も超え、中国で親しまれる「道教」の仙人も登場する。

 日本で最も親しまれた中国画家ともいわれる南宋時代の画僧、牧谿もっけいの重要文化財「老子図」(岡山県立美術館蔵、19日まで)は、神格化された姿で描かれることが多い道教の創始者を、鼻毛もひげもぼさぼさに伸びたユーモラスな姿で表現している。元時代の画家、顔輝がんきの重要文化財「蝦蟇鉄拐がまてっかい図」(百萬遍知恩寺蔵、19日まで)に描かれるのは、あくの強い2人の仙人。鉄拐仙人は自らの魂を遊離させている間に肉体を焼かれ死体を借りてよみがえったとされ、浅黒い体とぎょろりと見開いた目が怪しげ。蝦蟇仙人が担ぐ白いカエルも生々しい。

重要文化財「蝦蟇鉄拐図」顔輝筆 中国・元時代(13~14世紀) 京都・百萬遍知恩寺蔵=提供写真

 こうした自由度の高い人物画はやがて日本の絵師たちの「お手本」となった。展示でも狩野山雪、曾我蕭白しょうはくらの作品が並び、森橋さんは「中世以降の日本が志向した美術の源流をたどることもできるのでは」と語る。

 古代から中世に移り変わるこの時代、日本の世相は不安定だった。人々は救いを求め、仏教でも新たなムーブメントが起きていく。「中国へ渡った僧侶たちも、仏教先進国で最新の教えをつかんで帰りたいという強い思いを抱いていたのではないか」と森橋さん。会場に並ぶのは、そんな情熱の結晶なのかもしれない。

 会期は11月16日まで。10月21日から後期展示となり、大幅な展示替えがある。後期には牧谿の代表作、国宝「観音猿鶴えんかく図」(大徳寺蔵)や、その影響を受けた長谷川等伯の重要文化財「枯木猿猴えんこう図」(龍泉庵蔵)などが並ぶ。月曜休館。

2025年10月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする