
昨年10月、92歳で亡くなった美術評論家・美術史家の高階秀爾さん。館長を務めた岡山県倉敷市の大原美術館で高階さんの誕生日の5日、追悼の会「高階秀爾さんへ思いを伝える日」が開かれた。
「講演会に行くと、どんな質問でも丁寧に答えてくださった。美術ファンとして、最後にお別れをしたくて来ました」。美術館後援会の会員だという倉敷市在住の女性(80)は涙ぐみながら話した。
高階さんは2002年に第4代館長に就任。24年には大原芸術研究所の初代所長に着任するなど、大原美術館の「顔」として活動してきた。倉敷の人にも広く愛されたことから、誰でも参加できる会にしたいと企画。時折雪が舞う冬の日に、多くの人が献花に訪れ、メッセージボードに思い出を記した。
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大原美術館は日本初の本格的西洋美術館として1930年に開館。高階さんとの関係の深まりは、75年に始まった市民向けの美術講座にさかのぼる。毎年夏に開催する講座の45回のうち29回を高階さんが担当。そのほかの回も、当時の館長が高階さんに相談して講師を決めていたという。大原謙一郎名誉館長は「家族連れでほぼ毎年来られていました」と懐かしむ。
館長就任以降は、当時美術館理事長だった大原名誉館長と二人三脚で、美術館の「第三の創業」に取り組んだ。「既にあるコレクションを見直しなさい」。藤田文香事業部長は、高階さんが着任早々に言った言葉が指針になったという。「そのうえで現代を積み上げましょう」
教育普及のためのイベント「チルドレンズ・アート・ミュージアム」や大原家の旧別邸有隣荘で開催する現代美術作家による展示、若手作家の滞在制作事業「ARKO」など、若手作家支援や同時代美術への目配りは、高階館長時代に実現した大きな要素だ。
美術家、津上みゆきさんも同日、大原美術館を訪れた一人。03年に若手作家の登竜門「VOCA展」で最高賞のVOCA賞を受賞した翌年、倉敷市のギャラリーで展示されていた作品に、高階さんが目を留めた。「これだね」と即決して購入が決まり、05年にはARKOのトップバッターを務めた。「有名無名にかかわらず、どの作品にも同じように向き合う方でした」と振り返る。「高階先生がいたから、若い作家が倉敷とつながることができました。滞在制作から20年たってもみなさんが『お帰り』と言ってくださるんです」
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会議でだじゃれを言ったり、散歩して変な看板を見つけては知らせてくれたり。藤田部長は「東京でのピリッとした様子とは異なり、倉敷ではどこかリラックスしてみえました」。職員にとっては「いいね、やってみなさい」と背中を押してくれる存在でもあった。
大原美術館は開館から間もなく100年を迎えようとしている。大原名誉館長は「(高階さんは)美術館は時間と地理の十字路にあるとよくおっしゃっていました。歴史が縦軸なら、世界の広がりは横軸。その結節点にあるのが美術館だということを、自覚させられました」と話す。
大原芸術研究所では、高階さんが残した膨大な蔵書と資料を譲り受け、高階文庫として整理する計画があるという。イブ・クラインら同時代の作家との交流も含め、広汎(こうはん)な仕事と、後進に与えた影響は計りしれない。藤田部長は「長い時間はかかるでしょうが、顕彰する必要がある。整理が済めば研究者に公開したい」と話していた。
2025年2月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載