
高度経済成長に沸いた1960年代と、バブル経済へと向かう80年代。間に挟まれた70年代という時代は、どこか影が薄い。美術の世界でも、既成の価値観を疑う激しい前衛表現が生まれた60年代と、大きくて華やかな作品が次々に発表された80年代に挟まれ、唯一「もの派」が存在感を発揮した以外、目立つ潮流がなかったと見なされてきた。本当に他に見るべき美術はなかったのか。70年代前半にかけての版画ブームを捉え直すことで通説に挑む試みが、京都の老舗画廊「ギャラリー16」で展開されている。
「70年代再考 版画・写真表現の波紋」と題した展覧会には、写真製版の版画を中心に7作家の作品が並ぶ。色彩が抑えられた大きくはない作品の数々は、静かな緊張感をたたえている。企画に携わったのは、美術史家の坂上しのぶさん。きっかけは12年前、ギャラリー16の開廊50周年を記念して行われたトークイベントでの出来事だという。
作家や評論家が画廊オーナーの井上道子さんと各年代を振り返るトークで、坂上さんは進行役を務めた。70年代の部は、通説に従い「もの派」とコンセプチュアルアートを軸に展開したのだが、来場していた版画家の木村秀樹さん(48年生まれ)から、版画の再検証を求める声が上がったのだ。
木村さんは60年代が見いだした「物質対人間」という構図に対し、「どちらにも付きたくなかったのが70年代」だったと振り返り、当時の「両義性」の感覚が版画表現にマッチしていたと指摘した。「それがずっと心に引っかかっていた」と坂上さん。木村さんに改めて話を聴くなどし、60年代に「死んだ」と言われた絵画が80年代に復権するまでの「媒介者」の役割を、版画が担ったのではないかと考えたという。
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本展には、木村さんの「えんぴつ」シリーズの1点が出品されている。方眼紙に実寸大の鉛筆や手のイメージを刷った作品は、74年の東京国際版画ビエンナーレで京都国立近代美術館賞を受賞した。「実物とイリュージョンの境界面に興味があった」と木村さん。虚と実が共存する実寸大の像は、まさしく「両義性」を表現していた。
68年に京都市立芸術大に入学した木村さんは、学生運動の挫折を経験した世代。「どの面下げて、もう一回美術をやるのか」といううしろめたさにさいなまれていた時、版画に出会った。「絵画の王道からも現代美術の王道からも〝プチ芸術〟などと下に見られていた。そのネガティブな感じに『うそがない』と思ったんです」
木村さんは「えんぴつ」シリーズで、像が重なった部分が透けて見える「半透明性」にシルクスクリーン独特の表現を発見し、その後も版画を掘り下げていった。ただ、多くの作家は版画ブームの終わりとともに離脱。本展出品作家の一人で、木村さんが「マイナスの作業で現れるプラスを発見したすごい人」だと評価する辰野登恵子(50~2014年)も版画から油彩画へ転じ、80年代を代表する抽象画家となった。
坂上さんは、展覧会にあわせて自費出版した『70年代再考』の中で、「媒介者」として「えんぴつ」シリーズと辰野のシルクスクリーン作品に特に注目。2人が「つくらない」という時代の問題意識に向き合いつつ、絵画性を持った作品を制作していたと論じている。
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社会への不満が渦巻く一方で、無言の同調圧力がのしかかる今の空気は、70年代に似ているのかもしれない。坂上さんはそう感じているという。「もやもやしたものを間接的にでも表現し、自分なりの答えを見いだそうとやってきた多様な表現にもう一度寄り添い、認め合う見方が今、必要とされている気がします」と坂上さん。展覧会は20日まで。
2024年7月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載