
兵庫県立美術館(神戸市)で現在開催中のコレクション展に、18点の彫刻が展示されている。ジャコメッティにヘンリー・ムーア、堀内正和……。時代も素材も異なるこれらの作品はすべて、30年前の阪神大震災で被災した。展示台から落下したり、収蔵庫内で破損したり。近くに掲示されたパネルには、被災時の状況と後の修復作業が詳しく記されている。「展示台への固定金具はなし」。下線が引かれた記述からは、「関西では起きない」と信じられていた中で起きた大地震だったことが思い起こされる。
文化施設が多く建つ都市部を襲った大震災では、地域の美術館も軒並み被災した。同館の前身で、現在とは別の場所にあった兵庫県立近代美術館(近美)もその一つ。建物は倒壊こそ免れたものの大きな被害を受け、展示中の38点が損傷するなど作品も被災した。
30年の時が流れ、震災時から勤務する学芸員は15人中2人になった。その一人、西田桐子さんに震災の教訓を尋ねると、「作品のための環境を平生から整えておく。結局はそこに行き着きます」という答えが返ってきた。非常時に学んだ平時の重要性--。その意味を知るべく、同館の「保存・修復」セクションを訪ねた。
■ ■
震災からの文化復興のシンボルとして、2002年、同館は開館した。海を望む場所に建つ安藤忠雄さん設計の建築は、西日本最大級の規模を誇る。開館に合わせ、学芸員の体制も拡充。中でも全国的に見て手厚いのが、コンサバターと呼ばれる「保存・修復」の担当だ。
欧米では専従が一般的なコンサバターだが、国内では依然、少数派。増加傾向にはあるものの、専従の学芸員を置くのは、都道府県立の美術館でも半数に満たない。そんな中、同館では2人の正規職員と非正規職員の計3人で業務にあたっている。正規職員で専従の学芸員が複数人いるのは、国公立美術館では唯一だという。
「仕事の8割は作品を取り巻く環境の管理です。案外、デスクワークが多いんですよ」。そう話すのは、04年から同館で保存・修復の学芸員を務める横田直子さんだ。版画などの紙作品を専門とするが、「保存・修復」と聞いてイメージされやすい作品修復の作業は、実は業務の一部に過ぎないという。
日常業務の根幹は、展示室や収蔵庫の温湿度や空気質が適切に保たれているか、虫やカビといった異物が入り込んでいないかといった基本的なモニタリング。展示の予定がある収蔵品については作品の状態を確認し、適切な展示の仕方を検討する。他館に貸し出す場合には貸出先の環境を調べ、安全な移動のための輸送計画を立てる。貸し出しの際の立ち会いも、保存・修復担当の仕事だ。
「できるだけ修復をしなくて済むようにする仕事、とも言えると思います」と横田さん。実際の修復作業は外注できても、作品を取り巻く環境の管理は、収蔵品や館を熟知した担当者でなければできない。もう一つ横田さんが強調するのが「保存・修復は全員の仕事」ということだ。「コンサバターが司令塔にはなるが、展示担当も含め皆でやっているし、逆に展示にも我々は関わっています」。学芸員同士が専門的な知識を持ち寄り、緊密な議論を重ねることが作品を守るカギだという。
■ ■
「すべてのものにストッパーが付いていたので感動しました」。初めて同館を訪れた際のことを、横田さんはそう振り返る。「少しの間でも台車は止めておくとか、展示作業中の10分の休憩でも作品は床に寝かせるとか、基本の動作は当時も今も徹底されていると感じます」
ベースにあるのは、西田さんらの経験だ。「日々忘れるし、めんどくさいんですよ。ちょっとぐらいいいか、と思うこともある」と西田さんは明かしつつ、「でもやっぱり、30年前に身にしみましたからね」。ドアの開閉など日常動作のすべてが、作品保存につながっている。普段、西田さんらが震災の経験について語ることはないが、「先輩の姿を見て、全員が共有している」と横田さんは話す。
30年の間には全国各地でさまざまな自然災害が起き、美術館も被害を受けた。東日本大震災時、文化財レスキューで「石巻文化センター」(宮城県)へ駆けつけた横田さんは、作品リスト自体が津波で流されるという想定外の事態に直面。19年に川崎市市民ミュージアムの収蔵庫が台風で浸水した際もレスキューに従事した。
どんな非常事態に見舞われるかは「今や想定外が想定内」。だからこそ、「大切なのはイメージすることだ」と横田さんは言う。現状を知り、さまざまな状況を想定して、できることがあればやっておく。当たり前に聞こえることの重要性は、西田さんら経験者が説得力を持って伝えてくれたことでもある。「机上の空論にならないよう具体的にイメージしておくだけでも、いざという時の動きは違うはずです」。作品を守る日々に、終わりはない。
2025年2月20日 毎日新聞・東京夕刊 掲載