赤外線を当てて物質の特質を調べる機器を用い、写真フィルムの支持体を確認する保存科学専門員の山口孝子さん=高橋咲子撮影

 師走の金曜日、東京都写真美術館。夜間開館帯の午後6時過ぎ。日が暮れているというのに、客足は途切れない。3階では、2002年から続く「日本の新進作家」展が開催されていた(19日まで)。展示室外の机には、参加作家の一人、原田裕規さんによって、持ち主不明の大量のスナップ写真が置かれ、訪れた人たちがじっと見つめている。

 初めて来たという大学院生の男性(26)は「(原田さんの)24時間スナップ写真を見る映像作品では、よくそんなに眺めていられるなと思っていた。でも、外に出て実際に見だしたら、ノスタルジックな感じとか、バブル時代の感じとかが面白く、いつの間にか時間がたっていた」と話す。ビデオ作家・写真作家の久田歩美さんは、東日本大震災後に現れた風景を撮影した、かんのさゆりさんの作品を挙げ、「秩序があるようで無秩序。むなしさもあった。でもこういう風景は日本各地にある」と感じ入っていた。

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 1995年1月21日。ちょうど30年前、恵比寿ガーデンプレイスに、写真と映像に関する日本初の総合的な美術館として写真美術館は総合開館した。「泊まりがけで働く職員もいたほどです」と、事業企画課長の丹羽晴美さんは慌ただしい日々を振り返る。開館記念展に加え、19世紀の写真技法を体験できるワークショップも連日開催され、来館者につきっきりで対応した。

 さかのぼること9年。86年、東京都は「写真文化施設の設置」を発表。88年には作品収集に着手した。

 おりしも、写真や映像の歴史を体系的に見つめようとする機運が高まっていた。85年にはつくば万博の開催に合わせて、会場付近に「つくば写真美術館’85」が一時的に設置され、87年には京都国立近代美術館で「館コレクションから選んだ写真-近代の視覚・100年の展開」が開かれた。

 12~20年度に写真美術館の作品資料収蔵委員を務めた国立西洋美術館の田中正之館長は「コンセプチュアルアート以降、写真は重要な美術表現のメディアになっていた。だが、写真の歴史そのものを見せようとしたことが日本では珍しく、印象的でした」。80年代半ばには、小田急百貨店(東京)などのデパートで、アメリカの写真家、エドワード・スタイケン(1879~1973年)ら海外作家の写真展が頻繁に開催され、会場も混み合っていたという。「ちょうど、伊藤俊治さんや飯沢耕太郎さんら、写真の評論家であり、写真史の研究者である人たちも出てきた。そんなところで、写真美術館の設立準備が進んでいたわけです」。川崎市市民ミュージアムや横浜美術館など写真部門を持つ美術館の設置が相次ぐなか、写真美術館は90年の1次施設開館を迎えた。

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 コレクションは現在、約3万8000点を誇る。収蔵を進める「重点収集作家」は52人で、うち女性は石内都、オノデラユキ、やなぎみわ、川内倫子、長島有里枝、米田知子の6氏のみだ。「昭和の時代に活躍したと言われる人は男性が多かった。今は意識してバランスをとるようにしている」と丹羽さん。重点収集作家以外でも、歴史を見直しつつ補完しているといい、23年度は潮田登久子さんら9人の女性作家の作品を購入した。海外作家も欧米に偏りがちだったが、「今年はソウルにも市立の写真専門美術館が誕生する予定だ。アジアのなかでも連携を強く図っていきたい」と話す。

 もう一つの特徴が、保存科学研究室の存在だ。公立美術館で写真の保存科学の専門部署があるのは、ここだけだという。作品を劣化させないために、展示環境はもちろん、保存箱一つとっても材料や形状まで最適なものを探求している。写真を収蔵する美術館は増えているが、保存に詳しい学芸員がいるとは限らない。そのためアドバイスを求められたり、研修を受け入れたりとハブ的な役割も果たしている。

 ただ課題もある。開館当初、コレクションの大半はゼラチンシルバープリント(白黒写真の印画紙の総称)だったが、多様化する素材やサイズに対応する必要が出てきた。さらに、保存科学専門員の山口孝子さんは油彩画などとは異なる特質を挙げる。「写真は工業製品なのです」。需要がなくなれば、材料もなくなる。メーカーが撤退すれば、教育研究機関で学ぶ人がいなくなり、これまで用いられてきた材料や技法を知る人もいなくなる。「ブルーレイディスクやビデオテープにしても同様です。例えば(ビデオアートの開拓者)ナム・ジュン・パイクの作品を再生機器まで考えていつまで見せ続けられるのか」。50年後、100年後もコレクションを保つためには、国の協力も肝要だと話す。

 総合開館以降、スマートフォンの誕生で、写真はいっそう身近になった。西洋美術館の田中館長は言う。「写真は我々の日常生活の一部、文化になっている。写真美術館は、写真を美術作品として見せるにとどまらず、この広大な写真文化を、調査・研究し、考え続けるために重要な組織になっています」

2025年1月16日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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