紫式部石山詣図の上部(賛)=提供写真

【書の楽しみ】
流麗で温和 三条流の能書

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長、皇居三の丸尚蔵館長)

 この作品は、石山寺に詣でた紫式部が、日本文学史に燦然(さんぜん)と輝く『源氏物語』の構想を思いつき、ここで起筆したという図である。上段に掲げた賛によれば、「九条入道博陸殿下」、すなわち室町時代から安土桃山時代にかけて活躍した公卿(くぎょう)で、関白・内大臣の九条稙通(たねみち)(1507~94年)が源氏講釈の受講を終えたことを祝う宴席に掛けるために、土佐光元に描かせた、という。自らの年齢と『源氏物語』の巻数が同じであることに不思議な縁を感じたので、源氏学の師であり、叔父にあたる三条西公条(きんえだ)(1487~1563年)にこの賛の執筆を依頼したものである。永禄3年の仲冬の揮毫(きごう)である。

 内容はともあれ、構図からみて光元が賛の部分を想定して筆を執ったことがわかる。ただ、賛の部分を見ると、漢文の本文だけであれば、極めて収まりもよい。しかしながら、末尾の和歌「あけうはふ色はあやしなさく藤のさかへ/久しきやとにうつして」を加えたために、少々窮屈になっている。末尾にある署名の仍覚(じょうかく)は公条の法名である。彼は、室町時代後期に活躍した公卿である。当代屈指の碩学(せきがく)である内大臣三条西実隆(1455~1537年)の次男であるが、兄の公順が出家したため、家督を継いだ。実隆の『源氏物語』講釈の聞書を基本に増補や修訂した「細流抄」は、三条西家の源氏研究や源氏の注釈の歴史において極めて重要である。また、実隆より古今伝授を受け、歌人としても著名であった。

 この和歌の初句がよく意味が取れないが、藤原氏の氏神様である春日大社が藤で知られていることから、余白が無くなり、全体のバランスが崩れるのは承知で、藤原家の弥栄(いやさか)を最後に加えたかった、と解釈できようか。

 ところで、室町時代には、茶道、華道、能楽などと同様に、当時の日本においては〝道〟(道徳)の観念が書と融合して成立した入木道(じゅぼくどう)(書道)という考えがある。型にはめて表現することに、精神性を加味したもので、これは室町時代を通じて踏襲される考えである。この時代の公卿は伝統的な和様の書を用いるのが通例で、おおむね似通った書風である。その中でも、室町時代第一の能書として著名なのが実隆で、この時代随一の古典学者でもあり、その書は都でも地方でも、高い評価を得ていた。この実隆の書に憧れ追随する多くの人がおり、その書流は三条流、逍遥院流と呼ばれた。公条も流麗で温和な実隆の書を範としている。ことに「あ」「や」の切れ味鋭い仮名は三条流の能書のなかでも際立って筆意が充実している。

紫式部石山詣図 画 土佐光元、賛 三条西公条 一幅 絹本墨書 彩色 85.2×48.3㌢ 室町時代永禄3(1560)年 宮内庁書陵部蔵=提供写真

2026年8月17日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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