古今和歌集歌「いしはしる」1面 飯島春敬筆彩箋墨書30.0㌢×43.1㌢昭和36(1961)年ごろ 文化庁蔵(皇居三の丸尚蔵館収蔵)

【書の楽しみ】
古筆の品と現代書の自在さ

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・皇居三の丸尚蔵館長)

 飯島春敬(1906~96年)は、戦後に日本書道美術院の創設、また毎日書道展の設立に尽力し、書道界の再建と興隆に尽力した。彼は書道界の新たな旗振りとして調和体や大字仮名という新風を吹き込んだ書家で、現代の書を追求した。

 この作品は、『古今和歌集』巻第1・春上所収54の詠み人知らずの和歌「いしはしる/たきなくもかな/さくら花/をりてもこむ/みぬ人のため」を、わずかに赤みのある美しい染紙に5行に散らし書きしたものである。「いしはしる」は滝の枕詞(まくらことば)で、水の流れが岩にぶつかり激しく飛沫(ひまつ)を上げているさまを示しており、この滝がなければ、この美しい桜を見ない人のために、向こう岸にある桜の花を手折ってくることができるのに残念ながらできない、という意味であろう。古代においては花といえば梅を指すことが多かったが、『古今和歌集』になると桜の歌も70首が所収されており、日本人の花に対する好みも徐々に変化を見せている。

 また、春敬は古筆研究者としての一面を持つ。19歳の時に東京美術俱楽部で開催された井上家の売り立ての展示において古筆を見たことが大きな転機となり、田中親美の許(もと)に通い始めるなど古筆や写経に関わる知識と見識を身に付けていった、という。また、書道の学問的研究を目的として昭和24(49)年には書芸文化院を設立し、自らの研究成果などを出版していった。斯界(しかい)に与えた影響も大きい。

 また、生涯にわたって収集した古筆を中心とするコレクションは春敬記念書道文庫に所蔵される。また、書芸文化院は平安書道研究会を昭和25(50)年より東京国立博物館において毎月1回開催し、研究会に参加する人に毎回数点の作品を露出で閲覧させている。この会は、講義と古筆の臨書指導が特色で、現在も継続しており900回を数える。今年の6月から8月にかけて、春敬コレクションを中心とした展示が五島美術館で開催されたのも記憶に新しい。

 さて、この作品には現代書を推進する書家、さらに古筆研究家の両者が共存している。仮名作品には古筆の影響が見られるのは通例で、例えば「花」の結構や上から下に流れる連綿は「関戸本古今和歌集」のそれに近似している。また、上句と下句の微妙な余白は、「継色紙」「升色紙」や伝藤原行成筆「古今和歌集切」などの余白に通じるものがある。ただ、古筆を範として品良く作品を仕上げるだけではもの足らず、闊達(かったつ)自在さも追求している。「いしはしる」の「は」の造形や強調された線の力強さ、「し」への連綿を重視した運筆、「なくもか」と右に行を傾けるが、「な」一文字は放ち書きして、行のうねりを整えている。また下句では、行末を左に寄せることで、躍動感とまとまりが見られる。

 昭和36(61)年に、この作品は筆者より秩父宮家に献上された。そのため、朱文方印には春敬の本名である稲太郎の1文字を取った「稲」を捺(お)している。その後、秩父宮家より宮内庁時代の三の丸尚蔵館に御遺贈された作品の一つである。

2025年10月21日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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