
今年3月の文化審議会は、美術工芸品の4件を国宝に、そして42件を重要文化財に指定することを文部科学相に答申した。その国宝の中に書に関わる人で、ことに仮名を学ぶ人なら誰もが知っている「和漢朗詠集(唐紙)」がある。といわれてもピンとこない人も多いと思われるが、いわゆる「粘葉(でっちょう)本(ぼん)和漢朗詠集」(以下、粘葉本)である。料紙を二つ折りして、折り目近くの外側の一部分を糊代(のりしろ)にして貼りあわせた装丁を粘葉装と呼ぶことから、この名で著名である。指定の名称と通称が違うのはよくあることで、我々は粘葉本が国宝になったことを素直に喜びたい。国宝であろうが、そうでなかろうが、その魅力や価値はすでに多くの人が認めていることである。正式には官報告示されてからである。
書の評価にはさまざまな要素があるが、何を書いているか、その筆跡の良しあし、料紙はどうか、伝世についてはどうか、などの作品に対する関心は多岐に及ぶ。この粘葉本は、藤原公任が撰述(せんじゅつ)した『和漢朗詠集』を書写したものであるが、その本文が「日本古典文学大系」の底本に用いられていることからも、その伝本としての価値を知ることができよう。
筆者については、藤原行成と伝えるが確証があるものではない。しかし、料紙装飾とその書風から11世紀半ばの書写と推定され、「高野切本古今和歌集」第三種(前田育徳会蔵ほか)、「近衞本和漢朗詠集」(陽明文庫蔵)ほか一群の同筆の作品が伝存しており、筆者が当代屈指の能書であったことは明らかで、現在においても仮名を学ぶ人の最上の古典の一つとして尊重されている。
料紙は、竹を細かく砕いて漉(す)きあげられたもので、竹の産地であった中国の四川地方にあった蜀で作られたと考えられる。竹の繊維は短く、作られた紙も脆弱(ぜいじゃく)であったので、これに強度と円滑さを加えるために表面に貝殻を潰して粉にした胡粉(ごふん)を薄茶・白・黄・赤・藍などさまざまに着色し膠(にかわ)の溶液でのばして引き染めにして補強している。さらに飛鶴宝相華・亀甲・牡丹(ぼたん)・花菱(はなびし)・鳳凰(ほうおう)・雲鶴、そして種々の唐草文様を雲母(きら・花崗(かこう)岩の中にある鉱物)で摺(す)りだしている。図版は、黄色の雲母で、雲鶴の模様を摺りだした実に華麗な料紙である。
これほどの美しい料紙に筆を執るのは、歴代屈指の能書と想定される筆者も緊張したと見え、冊子の書き始めは慎重に端正な和様の楷書で筆を運んでいる。やがて、筆がなじむにしたがって優美で流麗な行書に草書を交えながら、和歌や漢詩を書き連ねている。この図版は、巻下で王昭君と妓女(ぎじょ)を執筆した部分であるが、このあたりに来ると筆も軽やかで闊達(かったつ)自在である。また、漢詩と仮名の調和、墨の潤渇、余白の処理、起筆の強弱、いずれをとっても見事である。
この粘葉本は、明治11(1878)年に近衞忠熙より皇室に献上された。その後、昭和天皇の崩御後に今上天皇(現在の上皇)と香淳皇后(昭和天皇の皇后)より国に寄贈された。長年の伝来のうちに料紙や装丁にも負荷がかかり取り扱いも困難になってきたため、4年に及ぶ歳月をかけて修理が完了し、華麗な冊子としてよみがえっている。
2025年5月19日 毎日新聞・東京朝刊 掲載